「大円之草」は円能斎が考案したことになっているが、果たしてオリジナルに考案したものであろうか。検証してみると、その種本となっているものとみられるものが存在している。
若くして結婚し、一時東京に居を移し、田中仙樵に世話になったとも聞き伝えられ、奥秘12段を当時の金額100万円で売却したという風評も現在まで聞き伝えられている。このことは日本茶道に存在する奥秘12段の書物はそれを裏付けているが、日本茶道の奥秘12段は、裏千家で伝承している奥秘12段とは似て似つかずの部分が多々ある。
田中仙樵自身は別にしても、流儀の高弟に与えている奥秘12段の伝書には記述内容に不整合部分があって、誰もそれを指摘をしていないことを見ても、本当に実践して伝承をしているのか疑問である。奥秘12段の記述の間違いが訂正されることなく、ただ、奥秘12段の書物が高弟に配布され、高弟も不整合な間違いのある台子12段の書物を所持しているだけで満足していることは、奥秘12段の伝承の形骸化を意味している。大変悲しいことだ。
あえてこのことに疑問を持ち深く考えると、円能斎は、日本茶道に台子12段の書物を渡す時、当時は書き写して渡したので、その内容が、書き写しの間違いか、意図的な点前の変革か、誰も現在では証明できないが、裏千家の伝承と日本茶道の台子12段での食い違いからいろいろ想像が生まれる。
あえて言えば、元である裏千家の伝承が本来と言えるのかもしれない。もし、意図的ならば、茶道の伝承に無責任さを感じる。
しかしながら、十段においては戦前から昭和40年まで続いてきた裏千家の研鑚は信頼できるとしても、裏千家の一部の茶道求道者に極秘に伝わる一子相伝と言われる「真之真」についての記述は疑問が多々ある。この点については、裏千家では非公開で、昭和40年以前でも十段許状者に「真之真」は伝承されていないが、記述として日本茶道に伝承された「真之真」は信頼に値すると言えよう。
話を「大円之草」に戻すと、円能斎が台子12段を日本茶道の田中仙樵に渡したがゆえに、裏千家の独自性のためにも奥伝として、新しく台子12段以外に「大円之真」「大円之草」を考案せざるを得なくなったとみることもできる。しかしながら、考案したというより、昔から伝わる「大丸盆点」を基本にして点前を編集したと言ったほうが当てはまるぐらい道具配置扱いが似ている。
結果としては、「大円之草」のルーツは「大丸盆点」にあると言っても過言ではない。機会があれば、「大丸盆点」を述べてみたいと思う。