曲名 筝曲「さくら舞曲」

◎ 茶の諸々話



目         次


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平成24年目次

1.  中国の緑茶とチベット

2.  四ケ伝「和巾」の仕服の真実

3.  忘れられた七事式

4.  拝見道具を出す時の亭主の位置の変遷

5.  中置に関する点前と盆点の唐物盆の質問話

6.  忘れられた円能斎の「各服点」

7.  伝承すべき点前とは異なる社会的変遷による変革すべき事とは・・・

8.  茶杓の「真」、「行」、「草」のなかの「行の茶杓」の話

9.  茶道の先生のあり方

10. 運び点前と棚点前の組み合わせ

11. 四畳半花月の裏話

12. 伝承を受け継いでいく姿勢とは

13. 大円之草のルーツ

14. 台子の据え方変化についての考察1(畳目62目として)

15. 円能斎時代の畳に換算して、本来の台子の据える位置を定量的明確に!!

16. 瀬田掃部(せたかもん)が始めたさらし茶巾の話

17. 湯水一杓に込めた茶の心

18. 感性ある美しき座掃きとは

19. 京間・田舎間の畳のルーツとその違い 2012/1/1

20. 茶事と「引次」の茶事は異なっている 2012/1/4

21. 茶庭での掃除中の雑感2012/1/10

22. 四ヶ伝唐物点前の変革2012/1/16

23. 知的財産の価値観と故山藤宗山の言葉を思い出して2012/1/19

24. 四ヶ伝台天目の変遷 2012/1/25

25. 灰匙の持ち方と灰の撒き方 2012/2/12 

26. 茶席のマナーで醜き姿とうつくしき思い出 2012/3/1 

27. 鉄風炉の話 2012/3/22  

28. A会員から棗の質問話 2012/4/3   

29. シルクロードで見つけた釜の原点と思える釜と釜の話2012/4/13 開示  

30. A会員の質問、小棗、甲赤、日の丸扱い 2012/5/13 開示  

31.茶の味覚を左右する水と茶筌の振り方 2012/6/2   開示  

32.逆勝手の落とし穴 2012/6/14   開示  

33.「充実したる人生とは」の雑感2012/7/4  

34.七事式「二人貴人且座」の開示2012/7/17〜8/5 完結  

35.盆香合の水注ぎの理由、二つの意味2012/7/15講演内容開示 2012/8/14 

36.A会員の質問「掛物の落款」 2012/9/15 開示 

37.釜と五徳のルーツの発見と「その考察報告1」 2012/9/25 開示 

38.原田式湿し灰の作り方 2012/7/15 講演内容 2012/10/15 開示  

39.掛物「金風吹玉管」に学ぶべき真意・・・ 2012/11/15 開示  



 1.中国の緑茶とチベット


 中国のお茶と言えば、プーアル茶、ウーロン茶などが有名であり、緑茶は中国から伝わったのに現在では飲まれていることはないと言う人がいますが、現在でも生産され、多くの人たちに飲まれております。
日本の緑茶の中で茶道を研究している私にとって、抹茶のルーツで中国のお茶を研究のターゲットにするのは必然的でした。
偶々、成都の西南交通大学の準教授が私の指導した生徒でもあって、講演を依頼され、いけばな、茶道、茶室建築の講義と実技を行うことになりました。

事前に中国へ行った時、四川省の九寨溝の近くでは緑茶の栽培がされていることを知り、又、別に雲南省へ足を運んだ時も緑茶の栽培が昔から続いていることを知りました。


中国四川省九寨溝の近く緑茶の栽培部落

中国四川省九寨溝の近く緑茶の栽培部落

 その時、その緑茶の運搬は、昔から現在もまだ続き、チベットへ運ばれていることが印象的でした。

その後、チベットへ行く機会を得て、チベットのお茶を調べてみましたら、チベットではヤクの乳からバターを作り、湯に溶かした中へけづり崩した磚茶(団茶)を入れ、バター茶(ジャ)として日常飲んでいます。ブータンでも同じようにしてバター茶(スジャータ)を飲んでいます。バター茶には、ミネラルやビタミンC等が多く含まれていますが、自然環境の厳しいチベットやヒマラヤ高地では野菜もほとんど取れないためにビタミンCの補給が必要だったのでしょう。

中国やその他低地からの野菜の運送は徒歩や馬の運送では野菜が腐敗して運搬することができなかったのでしょう。そこで、生活の知恵から注目されたのが、腐敗のない交易品として「緑茶」だったようです。現在でもチベットへ輸送はされております。当時の交易主な荷は「緑茶」とヤクの肉や馬とのぶつぶつ交換だったようです。現在でも物々交換の交通路としてのこる名称が「茶馬街道」です。

 結論として言えば、高地民族のビタミンCの補給として中国の雲南省、四川省では古代より現在まで緑茶の生産が続いた理由と言えるのです。


 2.四ヶ伝「和巾」の仕服の真実


 和巾の点前の生まれた理由については、いろいろ今までに書かれてきている。意外に知られていない事実を述べてみよう。
和巾の布地は、現在では、中次の仕服、和巾共同じ布地を用いており、知らない人は同じでなければならないと考えている。又それを販売している茶道具屋も縫製する業者も当然同じ布地と思っている。

 故山藤宗山業躰が証言することには、水屋係りをしていた若い時は、家元で和巾の布地は仕服と和巾は別々のものであった。ある時(家元が無限斎の時)、山口宝善(円能斎時代に麗棒会の一員に選ばれている)が、稽古用として、和巾と仕服を共裂で作って裏千家に納め、それより一般に共裂のものが用いられているが、和巾と仕服は別裂が本来であると私に述べていた。又、そのことを昭和54年9月名古屋の法輪寺で公表したので、記憶に残る方もあることでしょう。

 和巾と仕服は公家よりの拝領のものであったので、玄々斎は裂地を賜った公家を意識して複数の布地を用いたのかもしれない。(玄々斎の心境を推察)

 和巾と仕服は別裂が本来の「和巾」点前であり、現在の「和巾」点前は「和巾点」誕生の本来の意味を失っているとも言える


 3.  忘れられた七事式


 七事式は、禅における「七事随身」の精神を茶道の学ぶ人達に、徳川時代中期に表千家の七世如心斎と裏千家八世の又玄斎一燈が、創定したものである。 11世玄々斎の時に裏千家家元の咄々斎と大炉の間の取合の襖は、安政三辰年夏の判ある玄々斎精中直筆反古襖で、半間襖四枚で、 十二段に書かれた茶道具や点前作法、利休道歌がのこされている。これが有名な玄々斎の安政三年の反古襖である。

その後、棚や点前が考案されて、淡々斎の時、昭和3年に「昭和改定 法護普須磨」なる本が出版され、 その中に点前、七事式全てが記述されたが、当時の日本の戦争に突入していく歴史的時代の中で業躰も出兵し、 「昭和改定 法護普須磨」は忘れられていった。

戦後、教本として茶道のために出版することになった本は、元雑誌記者といわれ、 昭和11年女性として始めて業躰となった浜本宗俊の筆によるものが多いと伝え聞く。戦後の中では、茶道の修行と言うよりは、荒れ果てた日本の文化の中で、 多くの人々に茶道の普及をすることが主眼となって進められた。それ故に、七事式も代表的で簡易なものが、昭和35年以降広まっていった。

しかしながら、忘れられた七事式の復活は伝承されなかったので、幻の七事式になってしまった。
それ故に記述することにしました。よく法要で、供茶をしますが、この時こそ「供茶付花月」「供花供茶付花月」をすべきです。


七 事 式 の 種 類
花 月 且 座 (しゃざ) 廻 り 炭 廻 り 花 茶 カ ブ キ 一 二 三 員 茶 (かずちゃ)


 七事式はその時の客、点前の違いにより、細かく細分され、行われるが、表千家の七事式は裏千家に比べて数が非常に少ない。 せいぜい「且座」「一二三」「花月」「茶カブキ」「廻り花」「廻り炭」「員茶」が行われているが、裏千家でそれに加えて、準七事式とも称している玄々斎以降各宗匠考案の者がある上、 「花月」一つとっても裏千家では、「平花月」、「炭付花月」、・・・「香付花月」、「茶通箱付花月」は現代よく行われ、教本にも掲載されている。 裏千家の教本に載っている七事式の中の「花月」の種類は、本来ある「花月」の一部で、非常に少ない。本来の「花月」の種類を列挙してみると次のものです。


裏千家七事式の中の花月種類(代表的なもの)
平花月

付花





花付花月 炭付花月 香付花月 濃茶貴人付花月 薄茶貴人付花月 清次濃茶付花月 清次付花月 貴人主花月 二人貴人花月
次付花

次茶
筌なし
長緒付花月 包棗付花月 大津袋付花月 結び帛紗花月 壷荘付花月 軸荘付花月 濃茶筌荘花月 薄茶筌荘花月 四畳半略式花月 別待合花月 投込花月 無言花月 供茶付花月 供花供茶付花月 四人之式花月 茶箱点花月 立礼式花月 伝物付花月


裏千家七事式の中「且座」の種類(代表的なもの)
(平)且  座 東貴人且座 二人貴人且座 貴人付且座 貴人清次付且座 半東貴人且座 次香且座 通い付且座 四畳半略式且座

 上記の内、且座、東貴人且座、二人貴人且座(表紙緑色の本は薄茶仕舞いのため、問題である)等は記述されているため、よく行われるが、それ以外を知っている人はほとんどいないばかりかしている人もいない。



裏千家七事式の中「廻り炭」の種類(代表的なもの)
廻り炭 上客止炭廻り炭 主止炭廻り炭 数扁廻り廻り炭 通い付廻り炭 四畳半略式廻り炭

 上記の内、廻り炭、(上客止炭廻り炭、主止炭廻り炭、数扁廻り廻り炭は、通常の廻り炭の一連のなかにある)は記述されているため、よく行われるが、それ以外を知っている人はほとんどいないばかりかしている人もいない。


裏千家七事式の中「廻り花」の種類(代表的なもの)
廻り花 上客止廻り花 主止廻り花 数扁廻り廻り花 花一種の式廻り花 通い付廻り花 四畳半略式廻り花

 上記の内、廻り花、(上客止廻り花、主止廻り花、数扁廻り廻り花は、通常の廻り花の一連のなかにあり、行われることがある)は記述されているため、よく行われるが、それ以外を知っている人はほとんどいないばかりかしている人もいない。



裏千家七事式の中「茶カブキ」の種類(代表的なもの)
茶カブキ 九服之式茶カブキ 七服之式茶カブキ 無飲之式茶カブキ 貴人付茶カブキ 清次点茶カブキ 貴人主茶カブキ 上客執筆茶カブキ 末客執筆茶カブキ 通ひ付茶カブキ 四畳半略式茶カブキ

 上記の内、茶カブキ、は記述されているため、よく行われるが、それ以外を知っている人はほとんどいないばかりかしている人もいない。


裏千家七事式の中「一二三」の種類(代表的なもの)
無宗匠 宗匠付 宗匠主 主も札打つ式 薄茶 濃茶(各服点とも) 貴人点(濃茶、薄茶とも) 清次点(濃茶、薄茶とも) 茶筌荘(濃茶、薄茶とも) 重茶碗(濃茶、薄茶とも) 長緒袋 包棗 大津袋 入子点 盆香合 続き薄茶 茶箱点 茶入荘 茶碗荘 茶杓荘 通い付

 上記の内、無宗匠で行われるのがほとんどで、よく行われるが、「主も札を打つ」を知っている人はほとんどいないばかりかしている人もいない。



裏千家七事式の中「員(数) 茶」の種類(代表的なもの)
古式 回り点(両用あり) 通い付 四畳半略式 貴人付 清次付 重茶碗 茶筌荘 茶箱点

 上記の内、回り点、茶箱点で行われるのがほとんどで、よく行われるが、それ以外を知っている人はほとんどいないばかりかしている人もいない。




裏千家の準七事式と言われる種類


表・裏両千家で決めた七事式以外に裏千家は準七事式として考案したその種類
仙遊(11世玄々斎考案) 雪月花(11世玄々斎考案) 法磨之式(12世又みょう斎考案 三友之式(13世円能斎考案) 唱和式(14世淡々斎考案) 花寄之式

 上記の内、花寄之式は七事式に入らないが、昔から手向けとして、(・・・忌に代表者が行う)よく行われる。
しかしながら、その準七事式を詳しく検証してみると次のようである。




玄々斎の考案した仙遊の種類
仙遊(11世玄々斎考案) 無棚 通い付 清次付 東貴人 半東貴人 伝物濃茶付

 上記の内、仙遊は棚ありで一般に行われるが、それ以外は知られていない。中でも「東貴人仙遊」はいろいろなものが含まれており、修行にとってはよい勉強のの科目と言える。



玄々斎の考案した雪月花の種類
八畳之式 炭付 貴人付 清次付 貴人主 二人貴人 清次付(次茶筌なし) 花付 茶箱点

 上記の内、八畳之式、茶箱点はよく行われるが、それ以外はほとんどやられないどころか知られていない。



 
12世  又みょう(文字コードが存在していないため平かな表現)斎の考案した法磨之式の種類
花月なき式 花月ある式 通い付 四畳半略式 貴人付 清次付濃茶(各服点とも) 長緒袋 包棗 大津袋 濃茶筌荘 濃重茶碗 伝事濃茶付あり

 上記の内、八畳之式、茶箱点はよく行われるが、それ以外はほとんどやられないどころか知られていない。



 
13世 円能斎の考案した三友之式の種類
八畳之式 通い付 貴人付 清次付


 上記の内、八畳之式、よく行われるが、それ以外はほとんどやられないどころか知られていない。



     
14世 淡々斎の考案した唱和式の種類
五人之式 六人之式 貴人付 清次付 大津袋 包棗 長緒袋 茶筌荘 盆香合


 上記の内、五人之式、よく行われるが、それ以外はほとんどやられないどころか実際に試みる人は見られない。

 

 七事式・準七事式は全て伝承されていない。伝承されているのはほんの一部である。法要には「供茶付花月」「供花供茶付花月」をすべきで、「東貴人且座」、「二人貴人且座」は一般的には公表されているので、正しい「東貴人且座」、「二人貴人且座」を講習すべきであり、「東貴人仙遊」科目は修練として意味ある科目であるから挑戦して欲しいものです。


 4.  拝見道具を出す時の亭主の位置の変遷


 拝見道具を出す亭主の位置に関しては、「よく昔はこうだった。いや、ああだった。」と言うようなことを聞いた経験があると思います。一番よく言われる点前は、炉の「行之行台子」です。炉縁線から畳五つ目とか七つ目が体の中心でと言われ、現代では七つ目に落ち着いて伝承されていますが、本来のことが忘れられてしまっているのです。

 風炉点前は本来の原型で、正式な点前です。炉は準正式とも言える手前です。風炉の場合は、平点前から四ヵ伝、奥伝、奥秘十段に至るまで、道具を出す時の亭主の位置は斜め同じ位置の客付です。つまり、点前の格の違いによって亭主の道具を出す位置は変わりません。

 炉では、現在で一般に伝承されているのは、平点前は 炉縁外線を、四ヵ伝は炉縁外線畳目3目、行之行台子以上は畳目七つ目と言われて、ほとんどの人がそのように信じています。しかしながら、風炉点前を正式として伝承してきた亭主の道具を出す位置は全て同じ位置です。

 なぜ、炉になって点前の格によって差ができたのでしょうか。それは、炉が準正式で伝承されてくる中で、時の指導者が、勝手に作り変化させたことに過ぎないからです。戦中さなかの中で、昭和16年の取決めの話し合いで決めたことは、炉点前の行之行は炉縁線外畳五つ目と決めています。

 そのために戦後は、道具を出す位置は、真之行台子、行之行台子、四ヶ伝についての亭主の位置は七・五・三と言われつづいたのですが、その後、私の所持する資料では、「昭和44年2月1日の決定事項では、炉点前にて拝見物を出す時の亭主のねらいは、四ヶ伝は炉縁外隅の線より約3センチはずす。行之行以上約7センチはずす」と決めています。

 それ以後、奥伝は炉縁線外畳七つ目と決めて現在に至るのです。この点について厳しく曲尺割の概念から言えば、その決定事項の内容の表現は「・・・約3センチ・・・約7センチ・・・」で表現して、明確にセンチ表現は定量的でよかったけれども、「・・・約・・」という定性的表現で、規矩として決めるのには定量的表現をしていない点問題が在ると言える。しかし、一般に公開されていなかった奥秘十段は、幸いにも触られなかったので伝承が変革することなく、現在でも風炉と同じ様に、道具を出す亭主の位置は、平点前と同じ炉縁外線を体中心として出しているのです。
 公開されている炉の行之行台子、真之行台子、大円之真、大円之草、四ヶ伝だけは道具を出す亭主の位置は勝手に一人歩きして、変遷し、現代の形となってしまったのです。

 それ故に道具を出す亭主の位置は炉の場合は、四ヶ伝、行之行台子、真之行台子、大円之真、大円之草については本来の意味を全く継承しているわけではないのです。風炉全ての点前と奥秘十段(風炉・炉)はそのまま道具を出す位置は正しく継承され、伝承されているのです。


風炉・炉道具出す位置

風炉・炉道具出す位置




 5.  中置に関する点前と盆点の唐物盆の質問話


 このホームページを開設したのが、平成23年8月10日(本文を記述する今日は9月25日)だったと記憶するが、わずか2ケ月弱の間に、興味のある人たちによって見ていただいただけでなく、賛同と茶道の正しい在り方と正しい茶道の伝承のために真実を伝えなければならない茶道教育が必要とのメールや質問メールををたくさんいただいた。非常にありがたく拝見させていただいたことをホームページを通して御礼申し上げます。質問の中で、質問者に対する回答では多くの人に開示できないばかりでなく同じ質問者が多数の時は同じ回答をするために私の貴重な時間がパンクしていまうため、重要と思われる質問には質問者と登場人物を伏せて解説していこう。

まずは、岡山県の方からの質問は、某業躰さんが、「中置では茶筌荘はできないことはないが、おかしな事はしないほうがいい・・・」と言われたが、どうでしょうとの質問でした。その回答として「中置で茶筌荘はできます。某業躰さんがやらないほうがいいと言ったのは、一般に中置では、一年に一度の詫びの季節10月の点前として行われ、その際には茶筌荘をすることがほとんどなく、経験したことや見たことがないために、”おかしなことをやらないほうがいい”とか”避けたほうがいい”と言って答えを無難に回避していると思われます。もしそれを真に受けては、中置の時期に、由緒ある茶入、茶杓、茶碗、水指等の披露ができないことになります。決して中置に茶筌荘をしても矛盾はありません。」と回答いたしましたが、いかがでしょうか。
中置は茶筌荘はできる


 また次の質問は、「中置では流し点をしてもよろしいでしょうか・・・」でした。その回答は「中置で流し点はできませんが、中置でなければできます。その理由は、中置の特有の道具の配置(風炉と水指)があり、流し点特有の道具配置(風炉と水指)があって、ともに道具配置が相容れないからです。中置は昔から10月にする恒常的点前ですが、流し点ては親しき人が来た時に気楽にする点前で、それも一時中断した点前で、円能斎の時に再考して生まれた点前ですので、どちらかといえば、10月の点前は中置でするのが、親しき人にも”ごちそうの点前”といえることから、中置を優先すべきと言えます。

10月は、ほとんどの人が、一年に一度の中置のできる月ですので、中置の点前をしていますため、10月は中置しかできない月と錯覚してしまい、また、そのように思い込んでいる人が大部分です。10月といえども、中置でしなければならない理由はありません。
よく似たことで、”冬は炉と決めつけて風炉ができない” ”二月は広口釜” ”3月は釣り窯” ”4月は透木釜”と思っていることと同例です。そういう意味で、親しき人が来た時に、中置ではなくて、流し点でされることは問題ではありません。

”中置”としてする場合では”流し点前”はできませんが、”中置”にしなければ”流し点前”はできるのです。このことを誤解されないように!

 「盆点でわかさ盆を使用した時は 真の行のように左回しでよろしいでしょうか。」の質問がありました。 それに対する回答は、「盆点で若狭盆を使用した時は、若狭盆は唐物ですので、当然左回しです。しかしながら、盆点の生まれた経緯は奥伝の割稽古(盆にのった茶入)の扱いです。修練する点前ですから奥伝からいえば格の低い道具を使って修練というのが、稽古の道具として考える道具の扱いの感性でもあることから、若狭盆(格が高い)を使うより、普通の唐物四方盆を使うべきです。この点は茶の感性からもいえることです。
以上ご質問に回答いたしましたが、いかがでしょうか。尚、現在の盆点は、ほとんど、唐物文琳、四方盆(和物)のくみあわせでお点前をするので、盆を回すときは右回しです。

盆点の盆を唐物にしたら左回しに致します。


 6. 忘れられた円能斎の「各服点」


 殆どのお茶会では、点て出しと称して、正客又は2客、3客までは亭主が点て、残りの客は水屋から運び出した数茶碗で出される。点て出しで水屋から出された数茶碗で飲んだ客の気持ちを考えたことがあるだろうか。亭主は客の数をこなして満足であろうが、同じ釜の湯から点てた茶を飲まずして、正客と分かち飲み、かもしだされる一座建立の茶道の精神に反するばかりでなく、同じ釜の湯で飲む一体感は全くない。このような数をこなすことを主体として近年開かれる茶会には辟易とした。茶道の根本精神を放棄しているこのような茶会が多くみられる。

明治以後、日本文化を理解していただくために、外国人に茶道に接する機会を作った。時には日本文化の雰囲気を味わいたい外国人に、歌舞伎、相撲、その他いろいろあるが、茶室で同席したものが同じ釜から点てる茶を飲んで茶を飲む事は、知らない外国人でも緊張をやわらげ、日本文化の奥ゆかしさを味わっていただける最たるものだった。そのような茶道は、外国人にとっても魅力ある日本文化の経験であった。

しかしながら、外国人は、濃茶を回し飲みすることは、彼らの文化にはなく、不潔感をあたえることになった。話は別だが、インドでの列車3等車では、水がアルミの茶碗に入れて乗客同士が回し飲みをすることがあったが、とても飲むことができなかったが、失礼なので飲んだふりして茶碗を回したことがあったが、まったく外人も同感だった思う。

このことから、13世円能斎は、茶道の本来の一座建立としての濃茶の回し飲みを、茶道の一座建立の精神を保ちつつ、近代化の中で外人に も受け入れられて、日本文化を理解してもらうために考案したのが、「各服点」であります。

 しかしながら、現在の茶道人にはこの点前を知らないばかりか存在まで知らない茶道人が多くみられる。
現代の大茶会に招かれるほとんどの人は、時代に流された大人数の茶会が茶道の茶会であると洗脳され、茶道の一座建立の真髄を知らないまま流されているのが現状である。

 利休当時の茶事でも3〜5人程の人数で行い、朝から夜まで1日に数席をしていたことが南方録からも想像できるが、1席に5人以上招いている記述は私の見た限りでは見当たらない。

 北野大茶会といえども、たくさんの茶席を設えて、茶席1席1回の呼び込んだ人数はせいぜい10人以下(これは想定で学問的ではないが)だろう。どの茶席も同席の連客すべてが同じ釜の湯水で茶を飲み、一座建立の雰囲気を想像できよう。
 いろいろな古書を探しても1席1回の茶席に、今のような大広間で10人以上の多い場合は50人近い茶席の記述は見当たらない。明治以後、特に昭和に入って、今のような大寄せの茶会に致し方なく、各流派において、水屋運びの形式が自然発生的に行われるようになったと思われる。

残念なことに、やはり茶会の人数をこなす目的が主体で茶道本来のあり方から逸脱していると言える。1席1回の人数を10人以下にすれば、同じ釜の湯水で客をもてなし、一座建立も成り立つであろう。

各流派の家元での茶会、行事でも1席1回10人以下で、家元制度を支えている大切な門弟を招く時は、そうありたいものだ。どの流派が茶道の本来の姿に立ち戻るだろうか待ち望みたい。

 しかしながら、現在風の水屋持ち出しも否定するわけではない。参加する客自身に亭主側が、その旨を事前に知らせ、納得のいく茶会ならば、それも是であり、主客の密度の薄い希薄な茶道すなわち現代の大茶会時代の流行として許容範囲に入れることもできる。

 円能斎の考案したこの点前こそ客と亭主の「阿吽の呼吸」が大切である。
この点前は、正客に茶を点てると、水屋では茶碗を温め、茶を張り、長盆に客の数載せておくと、亭主は正客に茶を点て、出して、服加減を聞いた後、水屋へ戻り、長盆を持って、居前で同じ釜の湯を入れ、次々点て、長盆ごと次客にの膝前に運び、連客それぞれ別々の茶碗で飲む点前である。

 水屋では、連客の様子を見て、それぞれに適した茶の分量も気を利かせなければならない。茶碗は数茶碗であるが、正客と同じ釜の湯を飲むところに意義がある。

 25年ほど前であるが、名古屋の八勝館で徳川家の黄金の台子で、皆具風炉釜黄金で、茶会が開かれたことがある。偶々私は亭主側で奉仕をしましたが、正客から3〜4客までは、黄金の茶釜の湯で茶を点てて出したが、点て出しの人は水屋の大きなアルミのやかんのお湯で茶を点て出した。

どうでしょうこんな茶会でいいだろうか。客の中には一口でいいから黄金の茶釜の茶を飲みたかったと陰で話していたのを思い出す。ちなみに黄金の白湯を飲んでみましたが、気持ちが黄金の茶釜の湯ということからかどうかわからないが、当時、名古屋の茶道界の重鎮であった故伊藤宗和先生も同じように飲んだが、白湯を「甘く」感じたという私と同一の味感覚だった会話は忘れられない。

 大寄せの茶会でもできる限り、正客と同じ釜の湯を使って出すのが、お客に対する茶道の精神である。その際は、円能斎の考案した「各服点」を忘れてはいけない。ただ大勢の客をこなすだけの茶会は流儀の勢いを誇示するためか、ビジネス茶会と言われても致し方ない。
千利休も南方録の一節で「100年後には道具の見せやっこをして、たくさんの客を呼ぶ大茶会が行われるようになるだろう。嘆かわしいことだ」と言ったと南坊宗啓も記述している。心にとどめたい言葉の一つである。


 7. 伝承すべき点前とは異なる社会的変遷による変革すべき事とは・・・


 裏千家の講習、行事においては事前に「ことば」の斉唱する。一言一言、意味深長なものがあるが、現代社会においては、若者たちに空論してしまう内容を感じるものがあったので、奥伝をするグループに何とはなしに聞いてみた。「みなさん、唱和する言葉の中味はすばらしいものがあり、意味深長に考えると含蓄のある内容であると思いますが、何か心の奥で、合点がいかないとか、心にひっかかるものがあるとすれば、言葉の部分のどの部分と思いますか」と問いかけてみた。

返ってきたその内容については、いろいろなニュアンスの違いはあるが、は、十人が十人と言ってもよいほど一致した答えであった。それは「家元は親、同門は兄弟であるから誰に会っても合掌する心を忘れぬように」であった。

深くこのことを考察してみると、淡々斎の頃に作られたこの言葉は、戦前教育を受けた諸先輩が、文章推敲して作成した文章である。戦後の自由な教育を受けた若い人たちには、「家元は親・・・」というような決めつけた「文」自体に精神的な嫌悪感を与えるばかりか、「同門は兄弟である・・・」の「文」は、現代の世界から言えば、日本がいつも世界で批判を受けるような島国根性的、同族意識的、ある宗教団体にみられるような仲間意識の狭義な世界を感じさせ、現代の世界に飛び立つ自由な若者にとっては、感動を与えるよりも空言の文章で、心の琴線を震わす文章ではないのであろうか。この文章自体が空論になってしまっているからなのではないだろうか。

戦前に教育を受けた人たちには、当然で、肯定的文意ではあるが、時代の変遷によって、戦前の価値観、戦前の人間的平等、戦前の閉鎖的仲間意識から離脱した若者たちには相容れないものとなったのであろう。
それ故に私は若い人にも受け入れられ、心から感動を伴う文章を裏千家の関連で探してみた結果、入門必携の「宣誓」の中にある文の一節から編集してみて、唱和を試みた。

その文は「茶道を通して、己事究明(こじきゅめい)と人格完成の目標と共に、社会への裨益(ひえき)の心を忘れぬように」となり、これを再評価の意味で稽古場で確認したら、好評であった。

その意味は概略的に言えば、「茶道をすることの中で自分自身を磨き、自分自身の人格を崇高にするだけでなく、社会への貢献をすることを忘れないで欲しい」というもので、さっそく、問題の文章と入れ替えて実行してみて、その後感想をいろいろなところで聞いてみたら、「ことば」に共感を感じ、違和感を感じなくなったとの評価を受けた。それ以後それを試みつつ、裏千家の「ことば」を噛みしめ、修業をしている毎日である。皆さんはどのように思われるでしょうか。

時代は動いています。茶道の点前の普遍性は伝承しつつも、時代の中で変革していく精神構造には倫理観に合致する限りは、茶道の伝承のためにも自己改革と時代に合った真の改革をしなければ、空論の指導ともなります。



 

 8.  茶杓の「真」、「行」、「草」のなかの「行の茶杓」の話


 「行の茶杓」は四ヶ伝の「唐物」、奥秘十二段の「行之行」、「大円之草」、「草之真行」に用いられるが、よく「行の茶杓」の茶杓のことを「元節」とか「止め節」とか言っているのを耳にするが、いざその違いを聞くと答えられる人は多くはない。

茶杓作りの職人さんでも現在では、見よう見まねでビジネス的に大量作るので、その意味が分からない職人さんも多々いる。私が茶人と称する多くの付き合ってきた人たちの中で、明解に答えたのは、昭和63年ごろだったと記憶するが愛知県碧南の故水野宗慶氏ただひとりであった。今ではよくそのことをよく言うので、広まってきて、ご存知の方が多くなったが、「元節」と「止め節」は節の部分に違いがある。



元節と止節の違い図
元節と止節の違い図

 止節は節の部分の小さな節山の手前頂上で切り落とす場合と二つ目の頂上で切り落とす場合があるが、どちらも一番高い頂上で切り落とした茶杓を言う。

元節は二つ目の小さい山の麓まで降りたところで切り落とした茶杓を言う。どちらも「行の茶杓」で使う場合に差異はないが形の上での差異があり、呼び名に違いがある。
行の茶杓を言うう時は、「止節」、「元節」の区別を認識したいものである


 9.  茶道の先生のあり方


 いくつかのメールが送られてきた中で、現在の茶道界の先生のあり方に疑問を持つ方があったので述べてみよう。

まだまだ、茶道界では旧来の閉鎖的な社会構造を由ととしている指導者が多い。単なる道具持ちで幅を利かせている人、親が有名な茶道の先生であったからと言って、自分もえらいと錯覚を起こしている人が時にはみられるが、茶道の先生は、鵬雲斎がよく唱えていたように、「実・学・道」に実践を試みて、自己研鑚を試みると共に後に続く人たちに好かれようと思うのでなくて、尊敬される人になることである。単なる惰性で毎年同じことを繰り返している茶道指導者は原点に戻り、考え直すべきである。

又、茶道を求道するものは、万年学徒でなけねばならない。
 
茶道で生計を立てなければならない茶道の先生でも、それ自体は是としても、今日の自分よりも明日の自分が少しでも光り輝く人であることに徹しなければ、茶道の指導者として資質に欠けるばかりでなく、恥ずかしいことである。

 私自身、いつも自分に「今日の自分よりも、明日の自分が光り輝くように」と言い聞かせて、茶道の奥へとあゆみ続けている毎日である。そういう茶道人を目指しているのである。皆さんは正直に言って、明日の自分が光り輝いているだろうか。そうあってほしいものだ。



 10. 運び点前と棚点前の組み合わせ


 中置で五行棚を用いるとなると、いろいろと点前には複雑な意味合いが生まれてくる。例えば、八畳で花月之式を五行棚ですれば、水指は運び点前で、棚を用いることになる。しかし、深く考えれば疑問が残る。

それは、運び点前は小間、四畳半であり、棚を用いるのは、四畳半、広間が本来の約束であることである。花月之式は八畳行われ、広間であるがゆえに棚を用いるのは問題ないとしても、問題となるのは広間で水指は運ぶことである。花月以外で普通の点前においてもで五行棚を用いて運び点前となれば、どちらも点前に矛盾がない部屋としては四畳半が最適である。この点から言えば、花月の式も五行棚でする場合は、四畳半花月ですれば運び点前で棚を用いる問題も解決をする。

花月以外の普通の点前では運び点前と棚点前は部屋の広さによって点前が区別される。花月之式では、五行棚を用いる場合は、運び点前、棚点前が両立して、ともに合点のいくためには四畳半の設定が理屈に合う。
本来の点前の規矩性からみて、点前を見直してみるのも、茶道のあり方として重要なことであろう。理解していただけるであろうかよく想定してみてください。



 11. 四畳半花月の裏話


 昭和60年ごろだったと記憶するが、ゼミナールという研究会のことだった。当番で私の斑が「四畳半花月」をすることになっていた。「四畳半花月」の最後のクライマックスである座替わりを終えて、仕舞花が席に戻るとき自席には昔から右足で入っていたが、雑誌「淡交」に掲載された「四畳半」では明確に記されていなかったために、ほとんどの業躰が、左足で入る形式をとるようになり、業躰の重鎮とも言える山藤宗山は訂正を試みていたが、意のままならず困惑していた。

 たまたま私は、そんなことを耳にしていた。そんな時、名古屋のゼミナールで私の斑が「四畳半花月」をすることになり、私もどちらを取ればいいか困惑したので、当日、「四畳半花月」をする前に、講師である山藤宗山業躰に、「最後の仕舞花の席入りの足はどうしましょう」と尋ねたら、山藤宗山業躰は未だその件に関しては決断ができていなかったようで、私に「やめやめ、今日の四畳半花月は平花月に変更してやりなさい。ナァ!ナァ!」と言われたので、突然変更して平花月をしましたが、他の人は、なぜ変更したのか理由もわけもわからないままだった。

 その後、山藤宗山業躰と話した時、「その話はもうするな。今は左足で入ることにした。数にはかなわないよ!」と空言のように私に話した。

 このことは、ほとんどの人が知らない裏話の一つである。本に載ってしまい、多数が変革してしまうと、それが主流になり、伝承されていく事例を目の前で経験した例であった。現在は過去にそんなことは何事もなかったように、総礼で座替わりを終え、最後の仕舞花が点前席から戻って、自席に入る時は左足となっている。


 12. 伝承を受け継いでいく姿勢とは


 正しい伝承を受けたと思って、すぐに100%信じて伝承する人は、軽薄で科学性のない人である。
私ごとではあるが、大学時代、「演習」という論文の説明をする時、又、学会の論文発表の場では、徹底的に恩師に鍛えられた。その時の論文の解釈は、たとえ著名な人の発表でも「70%は是としても30%の疑問を作れ、それがより科学的な真理の探究の基礎となる」と恩師伊藤郷平教授に教育された。

伝承の世界でも同じことである。全員が正しいと言っても、根拠がなければ、信頼はできない。それが社会科学の重要なことである。 常に過去の歴史的事実を検証することによって、真実を伝える根拠が生まれる。そのためには、疑問が真実を発見する出発点である。
これから学習される人たちは、どんな伝承も疑を生じて吟味し、後世に真実を伝えていく責務がある。



 13. 大円之草のルーツ


 「大円之草」は円能斎が考案したことになっているが、果たしてオリジナルに考案したものであろうか。検証してみると、その種本となっているものとみられるものが存在している。

若くして結婚し、一時東京に居を移し、田中仙樵に世話になったとも聞き伝えられ、奥秘12段を当時の金額100万円で売却したという風評も現在まで聞き伝えられている。このことは日本茶道に存在する奥秘12段の書物はそれを裏付けているが、日本茶道の奥秘12段は、裏千家で伝承している奥秘12段とは似て似つかずの部分が多々ある。

 田中仙樵自身は別にしても、流儀の高弟に与えている奥秘12段の伝書には記述内容に不整合部分があって、誰もそれを指摘をしていないことを見ても、本当に実践して伝承をしているのか疑問である。奥秘12段の記述の間違いが訂正されることなく、ただ、奥秘12段の書物が高弟に配布され、高弟も不整合な間違いのある台子12段の書物を所持しているだけで満足していることは、奥秘12段の伝承の形骸化を意味している。大変悲しいことだ。

 あえてこのことに疑問を持ち深く考えると、円能斎は、日本茶道に台子12段の書物を渡す時、当時は書き写して渡したので、その内容が、書き写しの間違いか、意図的な点前の変革か、誰も現在では証明できないが、裏千家の伝承と日本茶道の台子12段での食い違いからいろいろ想像が生まれる。
 あえて言えば、元である裏千家の伝承が本来と言えるのかもしれない。もし、意図的ならば、茶道の伝承に無責任さを感じる。

 しかしながら、十段においては戦前から昭和40年まで続いてきた裏千家の研鑚は信頼できるとしても、裏千家の一部の茶道求道者に極秘に伝わる一子相伝と言われる「真之真」についての記述は疑問が多々ある。この点については、裏千家では非公開で、昭和40年以前でも十段許状者に「真之真」は伝承されていないが、記述として日本茶道に伝承された「真之真」は信頼に値すると言えよう。

 話を「大円之草」に戻すと、円能斎が台子12段を日本茶道の田中仙樵に渡したがゆえに、裏千家の独自性のためにも奥伝として、新しく台子12段以外に「大円之真」「大円之草」を考案せざるを得なくなったとみることもできる。しかしながら、考案したというより、昔から伝わる「大丸盆点」を基本にして点前を編集したと言ったほうが当てはまるぐらい道具配置扱いが似ている。

 結果としては、「大円之草」のルーツは「大丸盆点」にあると言っても過言ではない。機会があれば、「大丸盆点」を述べてみたいと思う。


 14. 台子の据え方変化についての考察1(畳目62目として)

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 台子を畳に据える時、現在では貴人畳と通い畳の敷き合わせ延長線上が、居前の膝線であり、貴人畳の縁内側から数えて畳目18目に台子を据えているが、誰もこのことについて疑問を呈する人は見受けられない。

現在の畳18目(畳目18目は畳目自体製作する畳職人の畳1目の大きさが一定でないために曲尺割から言えば無責任な表現であるが、指導上わかりやすいためにそのような表現をして伝承したのであろう。私の記述は正確に表現したいので、「cm」の表現を併記しておくが、5ミリ程度の誤差はお許し願いたい)自体大雑把な表現で適当な位置表示である。

ここで、わたくし宅の京間畳を元にして記述してみよう。ちなみに、6尺3寸×3尺1寸5分の京間の畳で、縁内の畳目数は62目である。

「大円之真」、「大円之草」に用いる円能斎好みの盆は、現在ではこの盆を用いて点前をする人はほとんどいない。淡々斎好みの盆は、少し小さめの盆でほとんどの人が「大円之真」、「大円之草」に用いる。実際に盆を重ねてみると、淡々斎好みの盆はすっぽりと円能斎好みの盆の中に納まる。

なぜ、このような大小の盆を生むことになったか考えてみた人はほとんどない。円能斎好みの大円盆は点前によっては、茶入が、大名物、名物、中興名物級を使って、天目茶碗も同時に盆上にある。そういう意味では道具と道具が触れ合う危険を避ける点で大きな円能斎好みの大円盆は理に適っている。

しかしながら、現実は淡々斎好みの小さな大円盆を用いて、時には、大円之草などでは道具と道具が、心配のほど接近して置くことになる。それなのにあえて小さな淡々斎好みの大円盆を使うようになったのか。

その理由は、台子の据える位置が変化した結果とみることができる。
南方録にも記述されているように、台子を据える位置は、京畳で、畳の端から4寸5分(三寸5分+屏風一寸分)下がった位置に台子を据えると記述している。この通りに据えると、畳向う端から台子の手前までの距離は、4寸5分+1尺4寸(台子幅)で1尺8寸5分(56.055p)となる。居前の膝線から台子までの距離は1尺3寸(39.4p)空くことになる。

この場合は、円能斎好みの大円盆は点前の際に、膝線より前に大円盆を置くことができ、点前にも支障なく、都合がよい。しかしながら、明治に入って、女子教育に茶道が取り入れられ、一般的にも女子に茶道が解放された。しかしながら、当時の日本女子の体格から言えば、南方録に記載された台子の据え方では、道具を扱う上には遠すぎて、点前をするには非常に困難である。

偶々、円能斎が「大円之真」、「大円之草」を考案し、点前が女子にとってはやりにくい中、円能斎は、解決法として、女子にとって台子点前がしやすいように、道具位置を膝線に近づけたのではないだろうか。それが、18目に台子を置くという原点と考えられる。

しかしながら、それでも、円能斎好みの大円盆での点前をする時は、盆自体が膝線よりはみ出て手前に来るので点前に支障が出てきた。淡々斎になってこの問題を解決するのに、考案されたのが、小振りの淡々斎好みの大円盆と考えられる。淡々斎好みの大円盆は、畳18目(当時の畳目の大きさの場合)にすっぽり入り、点前にも無理がない。又、女性にとっても畳18目は無理のない台子点前となり、台子の据え方もこれが恒常化して、現在のような台子の据え方の規矩となったとみることができる。

しかしながら、台子の据え方の変革についての文書が記載されているものは発見できていないが、南方録に記述された台子の据え方は、円能斎好みの大円盆を使って点前をしても支障なく点前ができたこと自体は、明治初期までは台子の設置は、続いていたと言える。

現在のような台子の据え方に変革したのは、先に記述した原因しか今のところ考えられない。現在よくある京畳縁内畳目62目の中では、淡々斎好みの大円盆でもわずかに(約1センチ)ほど膝線をはみ出る。現在の畳目18目で台子を据えた場合の図は下図のごとくであるが、わずか(約1センチ)のはみ出しは疑問が残る。それではどこに原因があるかと言えば、現在の畳と円能斎時代の畳の目の大きさである。本来はどうであったか。次の項目で明確にしてみたい。



台子据え方の南方録記述と現代の据え方違い図
南方録記述と現代の据え方違い

 台子の据え方の変革は、明治に入って、明治5年に学制が生まれ、明治12年に教育令が出され、明治19年に学校令が出されて義務教育が本格化する中で、明治29年以降、円能斎が東京から京都に戻った後、女子教育に茶道を取り入れ、茶道が女子の教養として、取り入れられていった。

その過程で、台子点前においても女子が点前がしやすいように、台子の据え方が変革したとみられる。又、茶道教育の中で、わかりやすいように、寸法で設置位置を示すのではなくて、畳目の表現で設置位置を表現するようになったが、これによって、本来の「曲尺割」が正確に表現されなくなったばかりか、畳のでき方によって畳目のサイズが違うので、正確な台子の据え方にばらつきができてしまった。

 また、奥伝の台子の設置が畳18目になって、台子が膝に近づき、円能斎好みの大円盆では点前をするのに狭くなり不都合となってきた。

円能斎の跡を継いだ淡々斎は、円能斎好みの大円盆の不都合さを改め、淡々斎好みの小振りの大円盆を考案されたとみることができる。

それによって、点前も無理なくできるようになった点はいいけれど、台子の据え方については、不確実な大きさの畳目によって据えるという設置方が、そのまま伝承されるようになってしまった点は、台子の据え方に大きな問題を残してしまった現在の台子の据え方である。正しい台子秘伝である奥伝を伝承するためには、定量的表現である寸法によって据え方を決めなければならない事を課題として残してしまった。

 今こそ、台子の設置は寸法で指導し、伝承していきたいものだ。これからの指導は、貴人畳の縁内側より畳18目でなく定量的な数値、(p、または尺)による位置に台子を据えることを提唱していきたいものだ。!!現代の畳ではわずか(約1p)に淡々斎好みの大円盆でも膝線をはみ出る。次の項目ではそれを明記したい。

補記:畳目は畳によって、京畳でも、60〜66位の畳目の差があるが、現在では62目ぐらいがよくある京間の畳目数である。しかしながら、上敷専用畳として作られた上敷き畳は、畳目は小さく、よく畳が汚れるからと言って用いている人は全く畳目が小さいので、畳目では、全く違った位置になってしまうから、ご注意を!!



 15. 円能斎時代の畳に換算して、本来の台子の据える位置を定量的明確に!!


 「14.台子の据え方変化についての考察1(畳目62として)」の記述は、現在よくある京間畳の代表的縁内内畳目数62を基本として論じたが、台子を18目に据えるという現在の規矩とも言えるものは、円能斎時代の畳によって生まれたものであるから、畳18目を円能斎時代の畳に置き換えて、その寸法を割り出さなければ、畳18目の謎は解けない。

この18目を割り出す根拠は、淡々斎好みの大円盆のサイズからたどることができる。

台子を畳18目に据えることは、淡々斎好みの大円盆ができる前に、円能斎が女子教育に力を入れ、茶道を導入したことから、小柄の女子にとっても台子点前が容易にできるように、従来の南方録に準じた台子据え方を変革し、台子を手前に近づけたことに起因すると考えられる。淡々斎は、台子の据え方が変わった後では、円能斎考案の大円盆では「大円之真」などの点前は「位置の決定」では、円能斎好みの盆が大きすぎ、不都合が生じるので、小振りな淡々斎好みの大円盆を製作することによって、この問題を解決したと考えられる。それではその分析をしてみることにしてみよう。

まず、淡々斎好みの盆のサイズは、直径30p(1〜2mmの誤差は論外として)である。この盆が、膝線から、台子地板縁までに置くことができなければならない。又、30pという直径は道具の大きさとしても約1尺で限がよいし、台子の据える位置も限がよい。それ故に、淡々斎好みの大円盆を考案した過程でも、台子の据える位置が縁内から数えて18目の位置は、縁の1寸を加えて1尺となることになる位置である(膝線から台子の端まで1尺)。それから考えてみると畳18目は9寸(約27センチ)ということになる。

 つまり、畳1目は1.5cmである。畳幅3尺1寸5分(95.4cm)の両縁合わせて2寸(約6p)を除けば、畳部分は2尺9寸5分(約89.3cm)となり、この中に1目1.5pは59.59個存在することからみれば、両縁を除いた畳幅2尺9寸5分の中に、畳目数は60存在することになる。このことからいえば、円能斎時代に茶室の畳目は60であったことがわかる。



台子据え方を円能斎時代の畳に換算して南方録記述と現代の据え方違い図

南方録記述と現代の据え方違い


 このことから、台子の据える位置は、円能斎時代の畳18目に台子を置くというのは、畳目1目=1.5cmであるから、縁の内側から27センチの位置が、台子の地板端になることになる。これからは畳18目に台子を据えるということはやめて、縁内から測って9寸または27センチの位置に台子を据えると言わなければ、本来の台子の据え方から外れていることになる。

是非、旧来の陋習を破り、本来の姿に返ってほしいものだ!!!>



 

 ホームページを立ち上げてから、沢山のメールの質問をいただきありがとうございました。
みなそれなりにお答えさせていただきましたが、メールの多さにお答えする限界に達してきましたことと、私の指導している弟子からもホームページの内容が境界なく発表されたことに関して、労せずに知ることができるのは不公平という厳しい意見が多々生まれました。
 その解決法といたしまして、「茶道の真実を知らなければ」の内容の意味合いや本論関する回答は、質問のお答えを含めて会員制度の方式を取り、会員の方のみに発表していく内容になります。近日中に発表いたします。なお、「茶道の真実をしらなければ」の間違いや問題は従来とおりいろいろ発表していきます。その答えは会員に限ることになります。よろしくお願いいたします。




 16. 瀬田掃部(せたかもん)が始めたさらし茶巾の話

 南方録を初めて読んだのは、42年前のことである。茶道を初めて間もないころ、南方録の読書をしようと提案され事に始まる。最初の頃はただ読んでいても、うわのそらで、身についてこなかったが、内容で気になるものが多々あった。その一つに瀬田掃部の秘蔵した大ぶりの茶碗である。

平成23年11月21日〜12月1日までベトナムの安南の陶器と香そして漆の研究を兼ねて、北部、中部、南部を歩き回った。そこで出会ったのが、まさに南方録に記述されていた瀬田掃部の秘蔵と記述されている茶碗に出会った。大きさ、色合い、美しさ、茶人にとって風情がある姿の茶碗であった。中国からベトナムの王朝に持ち込まれた400年〜500年ほど前の茶碗で、見るからに美しい。

 その美しい茶碗との出会いは、私にとって、探し求めていた恋人に会ったようなドラマであった。
後で考えてみると、茶碗の価値観が現在発展しつつあるベトナムでは、日本の明治初期に美術的価値観がなかった時に海外へ流失した美術品と同じような状況かもしれない。まさに瀬田掃部の茶碗(南方録では・・・古き高麗の皿・・・)そのものと思えるものでした。この後の旅行中はパスポートよりも茶碗を大切に運んだことは忘れられないのである。
詳しくはA会員のページで瀬田掃部の秘蔵の茶碗にふれ、手に入れた茶碗も公開しようと思う。


 17. 湯水一杓に込めた茶の心

 席中の三韻には、釜の松風の韻、茶筌通しの際の韻、柄杓から湯水を注ぐ時の韻があり、茶道を志している人には、当然周知のことである。柄杓の湯水を注ぐときには、それなりの心が入っていなければならない。その心とはなんであろうか。

皆さん考えて事がありますでしょうか。茶の修練と奥義に入るにしたがってそれなりの境地にいたるとそれがおのずから感じるようになる。
湯水を注ぐ際に奥義の境地に至るきっかけとなることをA会員の皆さんに記述してみよう。



 18. 感性ある美しき座掃きとは

 炭点前の後、座掃きは広間ではすることがないが、四畳半以下ではしなければならない。多くの人は座掃きを省略してしまっている事が多い。T会の講習で、「真之炭」でさえも座掃きをしないで、点前の最後に神折敷を膝前に置いて襖を閉めてしまう形式で指導されている場合が多々あると耳にするが、それは「真之炭」の一連の流れが完結しないことになる。

必ず座掃きはしなければならない。たかが「座掃き」と考える人がいるが、されど「座掃き」でその中に含蓄する茶の心と味わいが存在し、修業しなければならない点が多々ある。
その一つの例をA会員に茶道人に必見として開示してみよう


 19. 京間・田舎間の畳のルーツとその違い 2012/1/1

 畳には、琉球畳を除いて、大きく三つに分かれる。京間、田舎間、それに間の間(あいのま)とも言われる中京間である。
これらの畳は大きさに差があり、茶道にとっては基本的に重要なことである。なぜならば、茶道具を置く位置、棚などの設置に関しても本来の曲尺割(かねわり)が関係してくるからである。

畳の大きさの決定には、そのルーツがある。さかのぼれば、古代の条里制から述べねばならない。

又、畳によって曲尺割は異なっており、茶道を指導する上においてもその曲尺割の概略程度を知らずして指導するのは、交通ルールも知らずして運転を教える指導官と何ら変わりはない。ある程度の曲尺割をも知らずして茶道を指導する無責任な指導は嘆かわしいことである。
今からでも遅くはない。曲尺割の概略程度でも知ってもらいたいものです。
まず、その基本的な畳に付いてA会員のページで解説してみよう。


 20.  茶事と「引次」の茶事は異なっている 2012/1/4

 茶事と引次ぎの茶事は異なった形式である。「茶事」と「引次」を混同してはいけない。全く別のものである。

この「引次」の形式には、規矩として記述された古文書は見当たらない。それ故にさまざまな形式で行われているのが現状である。
しかしながら、「引次」の本来の意義ある形式は継承されていなければならない。
お弟子さんに引次をする際は、「引次をする点前」を師自ら、引次を受ける弟子の前で、利休の茶道を継承する家元代理としてお点前をして継承しなければ、引次にならない。引次をする指導者の中には、引次をする人にその点前をさせたり、代理に他の人に点前をさせて、引次と思っている指導者がいる。
”それは「お稽古」”である。

自ら「お点前」ができなくなった時は、茶道の厳しさから言えば、「引次」の資格は消滅したものであると自覚しなければならない。そのようになる前に、「引次」をしておかなければならない。

しかしながら、「引次」をすでに終えた資格のある弟子に引次のお点前を代理でさせるのは、まだ許容の範囲ではあるが、その時には、その代理でお点前をした弟子に、引次をした弟子を今後預けるのが本意である。「引次」とはそれだけ崇高な儀式であり、意味ある重要なものである。皆様はいかがされているでしょうか。胸を張って「引次」をしたと言えますようにして欲しいものです。

「引次」は「お稽古」を積み重ねて、習得できた時点で、最後に、師自ら、利休の茶道を継承している家元に代理として、その茶道の真髄を披露し、伝承するところに「引次」の意義があるのである。
その意義を踏まえて一般的にされている「引次」の形式と理想的で意義ある「引次」の形式をA会員に述べてみよう


 21. 茶庭の掃除中での雑感 2012/1/10

 初点式をするのに、庭の掃除を始めたら、茶庭の手入れを怠けていたので、ずいぶん雑草が生えていた。
懐石の料理の献立、道具の取り合わせを考えつつ、取る雑草を見た時、雑草を取る手が止まった。

ふと、自分自身が雑草であったら、「自然の中で命をもらい、一生懸命生きているのに、この人間と言う身勝手な動物は、情けも容赦なく私たちを摘み取っていく・・・」と考えるだろう。人間を含めてすべての生物は自分本位に物事を考え、推し進めていく。その結果がなんであろうと利する物を求めて、その結果が将来どうなろうと推し進める。今の原子力発電も科学の進歩と言う大義名分の前に、その利権に絡まる醜い流れの中で、解決もついていない危険な放射能と言うゴミ処理を後回しにして、自分に利する方向へと恥もわきまえないで推し進めている人たちが大部分である。

「茶庭をきれいにする」とは茶庭を所有する人が自分の目的のためにする行為である。「目的とは何か」と問い詰めれば、人を招待し、茶の湯をなして「楽しむ」ことである。所詮「楽しむ」こととは「自らの満足」を充足させることである。
いずれにしても、「自己満足」に帰着するのである。

しかしながら、茶の湯には、その「自己満足」に帰着する中で、草を摘み取る時に感じた「生命の尊厳」、客を招待した時に味わう客と亭主のまことな心のやりとりによる一座建立、席中で湯を一杓汲んだ時に柄杓を包む湯気の作り出す筆舌に尽くせない風情などは宗教的、哲学的背景があり、知的喜びを感ずる高揚感が存在する。
茶道とはそんな不思議な魅力のあるものである。そのような雑感を庭掃除の草を摘み取る中で感じた。皆様はどのように感じて掃除をなされるでしょうか。ただきれいにすると言うだけを目的に掃除をされるのでしょうか。

掃除の中にも奥深い思索の世界があることを知ってもらいたい・・・・と願う今日の庭掃除中の雑感である。


 22. 四ヶ伝の唐物点前の変革2012/1/16

 四ヶ伝「唐物」のルーツは、奥秘台子12段の中で用いる「唐物茶入」の扱いを修練するために成立したお点前と言える。伝承されていく中で、その所作と扱いには、時代に応じて変革し、本来の「唐物茶入」扱いとはかけ離れた扱いがされるようになった。唐物茶入の正しい扱いが、時代の進む中で、唐物茶入の意味合いを失っていく過程で、点前の変革が行われていった。
その理由はA会員ページで開示してみることにしよう。



 3. 知的財産の価値観と故山藤宗山の言葉を思い出して 2012/1/19

 会員制度にして多くの皆さんに加入をしていただいたが、本来このホームページ掲載の主旨は広く、「茶道の真実を知らなければ」を公開してゆくつもりであったが、その主旨とは、いたしかなくかけ離れた。月謝をいただき、すでに指導していた弟子およびその他の研修する茶道指導者と無料でホームページを開く読者との不条理性から妥協案として会員制度が発足した。今でも脳裏には、主旨と現実の狭間で心苦しき点がある。

しかしながら、故山藤宗山の30年ほど前の言葉を思い出す。「戦後、茶道普及のためにアメリカを訪問した時、敗戦国ではあるが、茶道と言う崇高な文化を広めるために、孤高とした権威のある姿で、敗戦国の物もらいではなくて、茶道文化を広めたと聞いた。茶道に関する知識は知的財産であり、当然の報酬として、権威を持って受け取った」と述べられた。
著作権。知的財産、弁護士の相談、医師の助言などすべてそうである。発展途上国などでは、未だその無形な知的財産の価値観は理解されていない。それ故に、遊園地のアニメの姿も模倣がされている。

お茶の世界でも時にはある。弟子でもないただ顔見知りだけであるのに、近づいてきて「月謝も払わないで悪いのですが、〜のお点前はどうしたらよかったのですか・・・」など再三、聞く人がいる。奇妙な茶道の世界でもある。
故山藤宗山の言葉を思い起こして、心苦しさから、とき離れて、それよりも期待される「茶道真実を知らなければ」を公開していこう。



 24.  四ヶ伝の台天目点前の変遷  2012/1/25

 四ヶ伝「台天目」のルーツは、奥秘台子12段の中で用いる「台天目」の扱いを修練するために成立したお点前と言える。しかしながら、四ケ伝の「台天目」点前として伝承されていく中で、指導する権威者が、台天目の天目茶碗の本来の特質が忘れ、独自の解釈から点前の所作が変革し、その点前が主流に伝承されていく中で、現在の「台天目」点前が定常化し他ものと考えられる。

言い換えれば、本来のあるまじき所作、茶杓の扱いが「台天目」点前として定着し、それが台天目点前の特徴ともいわれるようになり、現在では疑問もなく、「台天目」点前として行われている。
本来の台天目の扱いが正しく伝承されていたならば、現代の「台天目」点前は道具の扱いから言えば、間違った伝承と言える。時代を経て伝承されていく中で、正しい「所作」への復古される機会があれば、必ずされなければならない現代の「台天目」点前である。
この点をA会員に開示してみよう。



 25. 灰匙の持ち方と灰の撒き方 2012/2/12

 灰匙の持ち方は、灰を撒く時に撒きやすい持ち方でなければならない。大部分の人は、灰匙を持つ時、握りこんで、手燭や釣竿を持つような手つきで持つ人が多くみられる。これでは灰を意のままに撒くことはできない。炉中に湿し灰を撒く時、「普通の初炭」では5回炉中の所定の部分に、「真の炭」では11回灰を撒くが、灰匙がコントロールできなければ、所定の部分に撒くことができないばかりか撒く時の姿勢もくずれてしまう。所定の位置にうまく撒いて、尚且つ点前の姿勢も美しくあるためには、灰匙の持ち方ひとつで決まるのである。

 又灰匙から灰を撒く時には、灰を落とす灰匙の部分がある。その部分から落とさねば、灰はきれいに落ちないばかりでなく、点前の姿勢も灰を撒く時の灰匙から灰が落ちる美しさも見ることができない。もちろん、湿し灰がうまくできていなければ、灰も美しくきれいにサラサラと落ちない。灰が落ちないために、灰匙を持つ手をブルブルと震わせる人がいる。そんな光景をよく見かけた人も多いことでしょう。ブルブル振る人が多いのは、湿し灰ができていないのが大きな原因であるが、やはり、灰の落とし方の技術にある。この点詳しく灰匙の持ち方と灰の撒き方の技術についてA会員に開示してみよう

灰匙の持ち方と灰の落とし方の技術の習得によって美しくきれいに、撒く時の姿勢もくずれることなく美しく灰を撒くことができる



 26. 茶席のマナーで醜き姿とうつくしき思い出 2012/3/1  

 よく大寄せの茶会にみられる風景を見て、愕然とすることがある。一席が終わって、次の席を始める時、お待ちしていただいたお客に席を案内すると、正客の席を取り合うように座る人がいる。特に、正客の席は亭主との対話があるためか、正客の席と言うより次客、三客の席を好んで先を争うようにして席に坐す人がいる。中には、ずいぶん後から席に入ってくる仲間に席を取っておいて、呼び込む人もいる。

もっとひどい人は、組織で役職を担っているT会の幹事長、常任幹事などの一部の人は、恥もわきまえずに、当たり前のようにして先に並んでいた人たちを見下すようにして正客の席に着く。それらの役職の人についてきた人たちも同じように割り込む。亭主も亭主である。

それが当たり前のようにして、それらの人を呼び込む。年配の社中、先輩も同じようにして、前に並んでいた人を押し分けて席に着く人も多くない。茶会で見られる風景で、中には常識ある茶道具屋の主人もいるが、一部の茶料理屋、茶道具屋の主人が、正客の席に恥もわきまえず座っている姿を見かける事がある。又その姿も、自ら気に入っているのかもしれないが、作務衣を着て茶席に座っている。

作務衣は、作業着であり、茶席の亭主に対して、敬意をはらって訪れるというよりも土足で茶席に入るのにも等しい。茶を嗜む人ならそれなりの服装で亭主の茶席に答えなければならないのに、例え洗ったきれいな作務衣であっても、作業で使う作務衣である。茶席が終わって、巷の水面下の噂は、批判の波紋となっていることすら本人たちは気が付かない。まるで「裸の王様」であり、滑稽な話である。

しかしながら、茶席のマナーとしてA会員のページでに少しばかりのマナーと美しきマナーの思い出を語ろう。

 27. 鉄風炉の話 2012/3/22  

 風炉には、唐銅製、鉄製、陶器などがあり、それぞれの使用目的によって使用されなければならない。
鉄風炉と言えば、センターや文化教室稽古場などでよく見かける風炉である。それを使用している指導者の中には、鉄風炉の意味も知らないで使用している指導者が少なくない。

鉄風炉は、唐銅製のの風炉に比べて安価で、稽古用に購入して使われる場合が多い。それだからと言って、鉄風炉は稽古用の風炉ではない。しかしながら、現実には、日常茶判事に稽古の中で、「鉄風炉」が使われているのが事実である。茶の指導者たる人ならば、本来の風炉の意味を習う人たちに説明してしかるべきである。鉄風炉の意味とその用途についてA会員のページで詳しく述べることにしよう。

 28.  A会員から棗の質問話 2012/4/3 

 棗には色々な種類があり、その清め方も一般的には「甲拭き」と称して清めている場合がほとんどである。棗は薄茶入れる薄器の一つであるが、なぜか棗だけは、「棗」と称して「薄器」とは言わないのが慣習である。

「薄器」と言えば、一般に、「甲拭き」をする棗、「二引」、「り」拭きなどをする中次、その他唐物の壺などの拭き方をする薄茶を入れるものを指します。しかしながら、棗を清める拭き方が「甲拭き」だけとは限らない。又、棗の種類によって、棗を取る時の取り方、扱い、拭き方も違いがある。
A会員からの質問に、「鷲棗」の扱いの質問がありましたので、その解説を含めて、棗の種類によっての他の扱い、拭き方をA会員い開示してみましょう。

 29. シルクロードで見つけた釜の原点と思える釜と釜の話 2012/4/13 

 東洋と西洋の分疑点はトルコのイスタンプールにあるが、この決め方にはいささか荒っぽいような気がします。この点を現地を歩き回った経験から、東洋と西洋の文化の区分を西洋、西洋文化と東洋文化の入りまじる漸移地帯、東洋と三区分し、もう少し明解にしてみよう。「茶」と言う指標によって文化の区分を西洋と東洋に区分する試みをする中で、少し検証もしてみよう。

また、シルクロードのウルムチでの日本の茶釜、釣釜、五徳などの原点となるものを発見したので、日本文化のルーツは中国にあることを実感したことを烏魯木斉(ウルムチ)で見た釜、五徳、釣釜の写真を会員ページで開示し、述べてみよう。
茶釜の「和銑」と「洋銑」の違いとその組成からくる釜の鳴り音の五韻の理由をA会員ページで述べることにしよう。

 30. 会員の質問、小棗、甲赤、日ノ丸扱いの扱いのこと2012/5/13」の開示 

 「28.A会員からの棗の質問話」に関して詳しく解説をとのメールをいただき、それについて、誤解釈されないように補足したい。

棗と言う呼称は、形が「なつめ」の形から発しているのであるが、「何々棗」と称しても、棗にほど遠き形であるものが多くある。
棗であれば何でも「甲拭き」と教えられ、その指導者の指導者の時代から、延々と誤った伝承が続けられている。棗の呼称について話、清め方、扱いが棗であるにもかかわらず「甲拭き」をしない話、棗の蓋が必ずしも右ひざ角に置くとは限らない話をA会員のページで述べてみよう。

 31. 茶の味覚を左右する水と茶筌の振り方 2012/6/2  の開示 

 茶の味覚を左右するものは、いくつかの原因がある。その原因を分析してみると、大きく5通に分けてみることができる。全国に名水と称するものがあるが、近年では、多くの登山客が高山を上るので、深山と言えども大腸菌などで汚染されているところが多い。又、地下水も産業の内い陸地への立地によって、井戸が枯れてしまい、湧水も全国少なくなっている。そればかりか生活用水、産業排水の地下への浸透により、含有する有毒物質の許容範囲が越えており、井戸水の取水も制限されてきている。

しかしながら、そのような状況の中でも茶の味覚をよくするには、水の選択、茶筌の振り方、その他の条件が絡んでくる。又、表千家の茶の点て方で茶筌を振らない理由、宗編流の茶筌をも含めて少し、A会員のページで開示してみよう。
 

 32. 逆勝手の落とし穴 2012/6/14 開示 

 逆勝手の点前は、日常する機会は多くない。たまに逆勝手をする時は、足のことに気が回り、茶室を歩く時もぎこちない。特に花月の場合は薄氷を踏むような歩き方となる。点前においても同じことが言える。点前の所作、道具の配置、扱い方には独特なものがあり、全て逆ではないことが点前の複雑さを感じさせる。道具組も逆勝手特有の約束もある。
その中で、大部分の人気が付いていない点を述べてみたいと思う。教本にも明確に記述したものは見られない。むしろ写真では疑問に思える記載があり、ほとんどの人が気が付かないで、お点前をしている。

その点前は炭点前のことである。炭点前の道具組に本来の姿が忘れられていて、戦中の茶道修練の空白の中で忘れられ、戦後、茶道普及の指導の中で、点前自体に大きな影響をがあるとは言えないことから、気にされないまま伝承が続けられていたところにその「落とし穴」あると記述したい。
又その間違った伝承が、恒常化し、正当化され、誰も気が付かないまま現在に至っていることをA会員の皆さんに述べてみよう。



 33. 「充実したる人生とは」の雑感2012/7/4  開示 

 「充実したる人生とは」に関しては、誰でも一度は考えたことのあるテーマでもあるであろう。

人生を数理的に眺めることを、私は人に話すことがある。
現在のような長寿の時代で、人生を例えば100歳と仮定してみよう。それは日数にすれば36500日である。人は1日8時間休息のために寝る。寝る内も人生の1ページであるが、無意識の中の世界が、人生の3分の1で12166日余りである。残りは24333日が意識ある人生であるが、無意識に近い乳幼児の2年ほど引けば、23603日が意識ある人生と言える。長いようで数理的に見れば短いことが感じられる。

短い日数の中で本当に充実した喜びの日々は、生きるための雑用であるトイレに行く時間、風呂に入る時間、掃除をする時間、料理をする時間、洗濯をする時間、無駄な怒っている時間等を除けば本当に少ない時間となる。充実している日々は3000日ないであろう。もちろん、洗濯する事に意義を感じ充実感を得ているかもしれないが、そのような人は稀である。
どうすれば、「充実した人生であろうか」、自問しても、それは永遠の懐疑かもしれない。茶道に充実感を感じる人はその時間は充実しているとも言える。山を歩いている人から言えばその時が充実していると言える。しかしながら、それだけでいいだろうか。

人間は社会的な生物であり、社会を構成して生きる生物である。それ故に個人が充実していれば問題はないかと言うことである。茶室の中の一座建立は、決して個人だけのものではない。相客に心し、迎合することもなく、人間社会の相互の生き様の触れ合いの中で、自分自身を見つめ直し、是正してゆく中で、人生の喜びと充実感を感受し、高めていくことでもある。

茶室の中の一座建立は、広義に解釈すれば、茶室にとどまることではなく、人間社会と言う茶室でも同じことが言える。学ぶべきことは先人、友人、後輩全ての中にある。学ぶ事は単に勉学や知識の習得、学習する事だけの狭義な意味ではない。 間違いを二度としないと言う反省も含まれる。原子力発電、戦争などすべてに言えることである。

「充実したる人生とは]を心に留め置いて、残りの人生に悔いなき道を歩みたいものである。歩いてきた人生を振り返る時、ふとそのような雑感が心をよぎることを感じた。
皆さんも「充実したる人生とは」のテーマを心に留めて、明日と言う明るい日に向けて希望を持ち、磨きをかけて歩くことが、「充実したる人生を作り上げてゆく」過程でもあることを意識して欲しいと願いたい。



 34. 七事式「二人貴人且座」の開示2012/7/17〜2012/8/5完結

 七事式「二人貴人且座」の記載は、すでに緑の本(浜本宗俊)で発表されているが、お仕舞が薄茶仕舞の形式を取っているので、当時発表された際、山藤宗山、木村宗博業躰から問題視されていたが、本が発売された後なので、本来とは違うそのままになっている。

 山藤宗山、木村宗博業躰から本来の「二人貴人且座」を受け継ぎ、昭和60年7月19日に記述し、その一部をK業躰及び一部の茶道研鑚者にも修練とために渡したこともある。その時は未だ緑の本は発売されていなかった。

時が過ぎ、私も黄泉の世界への門出が近づきつつある日々の中、本来の真実を知りながら、独り占めにして黄泉の世界へ持っていく悲しい自我は捨て、その本来の伝承を受け継いでいる責任から、改めて本来の「二人貴人且座」を記述することにし、A会員へ発表することにした。尚、T会名古屋支部の古い会員には、記憶のある方たちも数少なくなったが、その後、河島宗敏業躰が、「今日は、何か土産でも置いて置こう」と言って、口早やに「二人貴人且座」のながれを述べたことがある。

A会員からのご要望に答えて、どのように記述で表現できるかどうかわからないが、「二人貴人且座」の全てを時間をかけても、数回に分けて、A会員の皆様に述べ、皆さんにお役にたちたいと思う。
2012年8月4日夜11時30分記述・・・その後、2012/7/17〜原稿を吟味して、8/4に完成し、8/5に開示できたことは、皆様方より数多くの待望のメールをいただいたおかげで、短期に完成することができた。これからもいろいろ開示していきたいと思う。



 35. 盆香合の水注ぎの理由、二つの意味2012/7/15講演内容開示 2012/8/15

 盆香合の水注ぎのことについては、よく、皆さんから質問を受ける。その多くは、釜の湯を未だ使用していないのに、水を注いだり、濡れ茶巾で釜を清める意味合いを疑問に思われる方も多くいる。

一般によくそれに対して説明をされる方がおられるが、伝承されている古書にはその説明が書かれたと言う事実は、聞かれない。ただ、昭和58年のある書物にその意味合いが書かれたものがあるが、納得のいく説明には行き着かない。
 しかしながら、由緒ある香合であるから、濡れ茶巾で席中を清浄にするためと世間では認識され、そのように解釈されることが多い。

 ここで盆香合の点前自体の意味合いから、釜に湯を使ってもいないのに水を注ぎ、客前で濡れ茶巾でわざわざ釜を清める所作をするのかを、茶の湯の亭主と正客の「阿吽の呼吸」から生まれたとも言える盆香合の点前の意味合いをA会員に述べてみよう。



 36. A会員の質問「掛物の落款」」 2012/9/15 開示 

 A会員から「掛物の落款が右側の上の押してあるものは、逆勝手の床に欠けるのでしょうか」と言う質問があった。

落款は、書画の作者が、最後にその作品に納得をし、押印するものである。

 その落款の彫にも、白文、朱文の二種があり、彫る内容によっても異なってくる。それ故に落款も種類も数種あり、押す位置にも、左下、右上、右下などがあるが、それなりの規矩がある。
 印は古くは、中国、朝鮮では紀元前から、印は王のしるし、象徴として大切なものであった。書面の最後に押印し、格式ある文書には必ず押印されていた。
 南宋時代の墨跡など掛物の形式も日本に伝わり、中国の様式をそのまま伝えた「文人仕立て」、日本で様式化され、「大和仕立て」と言われて、その書画の落款は、現在の落款のルーツでもある。現在では、その落款の規矩性は伝承されているのである。

A会員ページで、その質問に答え、茶道を志す人に基本的なことを開示してみよう



 37. 釜と五徳のルーツの発見と「その考察報告1」 2012/9/25 開示 

 釜と五徳のルーツを調べ始めて、文献をいろいろ見たが、判然としなかった。せいぜい五徳の名称の謂れを禅語から押し付けたような説明とか儒教の言葉からの派生したものとかが記述されているのが現状であった。
 名称のルーツとしても、茶道要録に記述された山田宗編の記述を起因にして名称の謂れを述べているのが元となっている。しかしながら、五徳自体の発生に関しては記述されたものは見当たらない。

 中国のシルクロードの烏魯木斉、楼蘭などを歩き回って見つけた足付の薬缶から、その原点を求めて再度、釜と五徳の関係を調べ歩いた。

 調べていくうちにいろいろな発見があり、紀元前770年〜403年の春秋時代に釜と五徳を結びつけることができる事実やその発生についても発見する機会を得ることが出来た。
その報告1として判明したことをA会員ページで述べてみよう。

 しかしながら、残念なことに平成24年10月12により中国へ再々訪れて調べる予定が、昨今の諸事情で中断することになったが、近い機会に又、中国を訪れ、再確認することもしたいものであることを付け加えたい。

 38. 原田式湿し灰の作り方 2012/7/15講演内容 2012/10/15 開示 

 湿し灰の作り方は、いろいろな本にも掲載されており、各流儀においても、伝承と称してその作り方が教授されている。しかしながら、いろいろ考えてみるとその製法にも疑問が生じてくる。

その疑問と思う湿し灰の作り方の代表的な事例を二つほど例示し、その問題点を記述してみよう。
1.よく行われている方法で、番茶や緑茶を灰にかけて、灰の色つけを兼ねる手法
 いろいろな流儀でこの手法が行われているが、番茶や緑茶は、有機物で、その汁を掛けると言うことは、植物の腐葉土を掛けることと変わらない。
それ故に腐敗をし、微生物生育の温床となり、不潔ともなる。日本の湿潤気候では、カビの発生を即発する。事実、夏などに作られた湿し灰はにおいもかび臭く、目視しても、微小な白いカビや黄色いカビを確認できる。これを炭点前で湿し灰を撒くことは、カビの無数の胞子などを飛散させていることにもなる。

 身体の抵抗力が弱まった高齢者が、飛散したカビの胞子などを呼吸で肺に吸い込めば、時には気管支炎や肺炎を引き起こすことも考えられる。
 冬の寒い日は、茶室は炭火で空気も悪く、乾燥した時期なので、風邪もひきやすく、咳も出やすい。そのような時に、番茶や緑茶をかけて作った湿し灰は、カビを含んでいる可能性も高く、その胞子肺に吸い込みたくないものです。

 その製法の問題点がそこにあるのですが、伝統的に伝えられていると言う名分にしがみ付いて主張する指導者も見られると思います。よく考えてみれば、利休がそのようにして湿し灰を作ったと言う記述は見当たらない。記述が見つかったとしてもそのようにして作る手法は変えなければならない。

又、灰の色の良さは、水を含んだ時の黒色である。決して番茶や緑茶で染めた色が本来の湿し灰の色ではないことは明白である。着色をすること自体が間違いなのである。
1.よく行われている方法で、丁子の煮汁を灰にかけて、灰の色つけをする手法
灰に丁子を掛ける理由は、丁子の煮汁が、黒色であるからである。このように丁子をかけるようになった所以の理由は、一つには、灰に水分が含まれた湿し灰は、灰が重くなり、又、べとついて灰匙から、思うように湿し灰が滑り落ちない。

 それ故に含ませる水分を少なくすれば、湿し灰の色が白くなり、色が悪くなる。そこで丁子が考えられてくる所以が出てくる。灰は黒くなり、夏の暑い日に炎天下で干せば水分も少なくなり、灰匙から滑り落ちやすくなる。すべて目的道理の湿し灰ができたと錯覚する。

 しかしながら、落とし穴に気が付かない。丁子はスパイスであり、芳香がある。この煮汁をかければ色は黒色になっても、芳香が出るため、炭点前で使う「香」の香りをも殺してしまうことである。夏の炎天下で灰を干したと言えども、湿潤気候の日本では、1〜2か月もすれば、異臭もではじめ、カビの発生が始まる。事実、微細な白色や黄色のカビを確認した方も多いであろう。

  この手法も、利休当時の記述した書物は見当たらない。後に苦肉の策で考え出した手法なのであるが、本来の湿し灰の色でもなく、カビの発生も余儀なくおこり、不潔な灰となりうる。又事例1のように、カビを含んでいる可能性も高く、その胞子を肺に吸い込みたくないものです。

 それでは, お点前1時間前で作ることが出来る「原田式湿し灰」の奥義を示そう。

清潔で、水を含んだだけで、灰の本来の美しい色の黒色を呈した湿し灰はどのようにして作ればよいかをA会員ページで詳細に開示してみよう

 39. 掛物「金風吹玉管」に学ぶべき真意 2012/10/15 開示 

 秋になると、茶席の掛物で「金風吹玉管」を見かけることがある。それは、「金風」が金色の実り多き稲穂を思わせ、秋の風情に合致するからでもある。

 この禅語は、臨済義玄と三峰院の平和尚との有名な禅問答に起因すると言われる。確かに「金風吹玉管」だけを取り上げて解釈すれば、秋の風が吹いてきて、玉管が自然に鳴りだす様を詠んだ禅語ではあるが、禅語には奥深い意味がある。その意味から推察すれば、この掛物は、茶人とは限らず、学徒すべてに通ずる思い意味合いがある。

 臨済義玄と平和尚の禅問答の真意は、価値のある説諭を聞いて、それを自然に受け入れ、自ら鳴りだし、共鳴するような人で、あってほしいという意味程度で「金風吹玉管」から禅語の意味を完了するものでなく、その奥に修行する禅者のみならず、人の求道の精神があることを解いているのであるが、この点をA会員い開示してみよう。

40. 次々回をお楽しみに!!


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第11部(2022年)茶道における誤った伝承
Paret11(2022)"wrong tradition in the tea ceremony"
第11部(2022年)茶道における諸々話
Part11(2022)"All kinds of matters talk in the tea ceremony"
第11部(2022年)茶道奥秘台子12段の話
Part11 (2022 year) "story of 12 steps of tea ceremony hidden mysteries four-pillared shelves(DAISU).
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第12部(2023 年)茶道における誤った伝承
Paret12(2023)"wrong tradition in the tea ceremony"
第12部(2023年)茶道における諸々話
Part12(2023)"All kinds of matters talk in the tea ceremony"
第12部(2023年)茶道奥秘台子12段の話
Part12 (2023 year) "story of 12 steps of tea ceremony hidden mysteries four-pillared shelves(DAISU).
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第13部(2024 年)茶道における誤った伝承
Paret13(2024)"wrong tradition in the tea ceremony"
第13部(2024年)茶道における諸々話
Part13(2024)"All kinds of matters talk in the tea ceremony"
第13部(2024年)茶道奥秘台子12段の話
Part13 (2024 year) "story of 13 steps of tea ceremony hidden mysteries four-pillared shelves(DAISU).
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