奥秘十二段の成立は、十二段全て習得して、南方録を何度も読み返し、日本史を背景に考察してみると、利休が奥秘十二段を成立させた真意が見えてくる。
日本の風土と島国という自然環境が日本人独特の心を育んでいった。そこで生まれた日本人独特の生活様式、精神構造、感性をつくりあげた。
中でも外国製品にたいする崇拝、特に茶道の成立期において、古代からの日本と朝鮮、中国との歴史的変遷のなかで、先進国であった中国、朝鮮からの高度な文物の渡来した物に触れて、羨望のなかでその精神は生まれ、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代を経て、貴族、武家、僧侶、豪商などの上流支配階級の世界で確立した唐物至上主義の世界に茶道が形成されてきた。そのような環境の中で唐物至上主義の精神構造形成されたのであります。
自由都市堺に生まれ育った千利休は、封建的、画一的、封鎖的茶道に違う茶道があるのではないかと模索する中で、村田珠光、武野紹鴎を経て少しづつ変革して求めた侘、寂の茶道を、利休の感性で一層奥の深い草庵の茶を究極の茶道であると認識し、大成していったが、唐物台子飾りを大成した能阿弥に対して、唐物台子飾りに優越なる和物道具を組み合わせることによって、新しい茶道の原点となる台子十二段を大成したと言える。
結論的に言えば、
茶道初期成立時代から絶頂期の室町時代の能阿弥の頃までの唐物至上主義の尾を引く利休以前の茶道界に対して、利休が茶道の究極とする草庵の茶を茶道の奥義に組み込むことによって唐物至上主義を打破し、和物道具にも茶道に優越した道具のあることを認識させる意味合いから、唐物、和物道具の混成による奥秘台子十二段を成立させたと見ることができる。
これが原点となって平点前の形成に大きく影響を与えていった姿を、奥秘台子十二段の中に垣間見ることができるのである。