曲名 筝曲「六段の調べ」

◎ 誤った伝承

目         次 <第1部(2012年)


下の番号をクリックすればその項目です。

目 次 

1.  中置のルーツとその意味の真実

2.  茶入の裏蓋の金箔

3.  点前稽古によくある間違い

4.  濃茶貴人台で茶杓を拝見伊出す時の間違い

5.  誤った伝承を訂正する勇気

6.  「つもり(実際とは違うがそのつもり)稽古」は してはいけない

7.  日本文化の伝承の義務を背負う人々こうあってほしい

8.  炭について

9.  灰の話 現代よく記述してある「湿し灰」の作り方は誤った伝承と言える

10. 竹台子の間違った解釈

11. 四畳半花月で敷き合わせの角(踏込みと通い畳の角)を通る時の違い

12. 鱗(うろこ)灰の真実

13. 炉檀の据え方と畳と炉縁についての正しいあり方

14. 釣り釜、透木釜の頃の灰床の解釈の誤り

15. 台子平点前炉の場合の柄杓を杓立からとって通るコースの間違い

16. 穂長茶筌と五分長茶筌の区別と天目茶筌の話

17. 「茶通箱の茶巾のたたみ直し」の正しいたたみ方を今一度試してほしいものだ !

18. 「二人貴人且座」の仕舞は、濃茶仕舞をしなければならない!!

19. 菓子器の扱いの間違い

20. 茶カブキの看板は正しく使ってもらいたいものだ!!

21. 本来の茶花を知ってもらいたいものだ!!

22. 天目茶碗には独特な持ち方がある

23. 天目台の意味と持ち方とは・・・

24. 「真之炭」点前のよくある間違い

25. 天目台、盆の拝見の仕方が近年歪曲されている現実

26. 畳と台子の曲尺割とそれを不用意に無視した例

27. 台天目の点前の蓋置は青竹と言う約束はない。白竹でも良い。規矩と感性を混同しないでほしい 2012/1/23

28. 丸卓(利休好み)使用の意外な誤り 2012/4/23 開示

29. A会員からの質問:掛物の外題とは・・2012/9/5 開示

30. A会員の質問:「大円の草の和物茶入の取り方」と茶入の取り方の理由2012/10/25開示

31. A会員の質問:平成24年9月に雑誌に記載された花月の足はまちがっていないでしょうか?2012/11/5 開示

32. 利休の主張したお点前中の道具の正面とは・・・2012/11/25 開示

33. A会員からの質問・・・「五行棚の竹柱の組み方」 2012/12/5 開示



 1. 中置のルーツとその意味の真実

 中置をはじめて勉強する時、大部分の指導者は、「中置は10月になるとだんだん寒くなってきます。お茶は客に寒さを感じさせないために風炉を畳の中央に置き、水指を客から離れた勝手側に置いたのですよ。お茶はそんなところにも客に対する心がけが表れているのですよ」のように説明をすることが多い。
又、客もこれを聞いてお茶の心に打たれ感動する場面が見られます。
出版されている本にも書かれていることがあるばかりでなく、各流派の家元の中で某家元自身もそのように説明しています。

もし、寒くなった理由から客へ配慮したものなら、風炉の点前は正式で真冬の深々雪の降る時は、なおさら水指を客から離し風炉を客に近づけなければなりませんが、決してそのようなことはしません。
それから考えても、寒くなった理由で風炉が畳中央、水指が勝手側になったと説明するにはこじつけであることがわかるでしょう。

このように中置の点前を説明しているのは明らかな間違いです。
茶道の原点である奥秘十二段を知らないがゆえに、口伝と言う手法で長い歴史的経過のなかで、時の指導者がさも納得がいくように作り上げ、自らも信じて伝承してきた結果、生まれた説明なのです。


それでは中置の真意味とその点前のルーツをお話しましょう。

10月は茶道のの世界では風炉の季節が終る最後の月です。
俗に最も詫びた時節とも言われ、道具もしつらえも詫びた表現で行われることは皆さんも周知のことと思います。
11月になれば、お茶の世界では炉の季節で始まりでもあるのです。
そういう意味では11月は、茶道の正月とも言われることがあります。
その10月は一番詫びた季節と言うことで、詫びた道具仕立てと配置が行われたのが中置なのです。

千利休が大成した奥秘十二段は、
「真之真」、「真之行草」、「真之行」、「真之草」
「行之真」、「行之真草」、「行之行」、「行之草」、
「草之真」、「草之真行」、「草之行」、「草之草」であります。

これらの点前で「真之真」から始まって「草之草」までの中で10月の詫びの点前として
「草之草」の道具配置が中置の点前として用いられたのです。

「草之草」の道具配置は風炉が台子地板上中央、水指(細水指で名物級)が台子地板上勝手側で、そのまま詫びた中置の配置に活用されたのです。



草之草の道具配置と中置五行棚の道具配置を見比べてください。

草之草道具配置

草之草の道具配置

中置の五行棚道具配置

中置五行棚の道具配置


 会員のある方が中置の起源を「暦の土用と陰陽をからめて陽と陽の中間から中置と称する」と言う著者いるとのことでしたが、次の写真を見ていただくと、「中置」の原点である「草之草」の点前で総礼の時の道具配置は、柄杓は中置の引き方と同じである点から見ても、暦と陰陽を絡めて「中置が」生まれたのではなくて、詫びの表現を「草之草」を原点として「中置」が成立したものと言えます。


草之草点前 総礼の時の道具配置(柄杓を引くのは中置と同じ)

草之草の道具配置

◎ 中置の説明としては、10月の詫びた季節に、奥秘十二段の中で、最後の「草之草」の
   道具配置を用いることによって、詫びの表現をした点前ということです。





 2. 茶入の蓋裏の金箔


  茶入の蓋の裏に「なぜ金箔が貼ってあるのでしょうね」と茶道を始めて濃茶を習う頃、先生から聞かれ、大部分の人は、次のように説明を受けることがあります。

 「昔、茶入の中に毒を入れられることがあったりした場合には、蓋に金が貼ってあれば金が毒に反応してすぐわかるから、金が貼られたのですよ(茶道の某家元慣習の漫画本にも同じようなことが書かれています。)」とまことしやかに説明を受け、それを聞いた弟子は、又自分の弟子に言い伝えます。


このような明らかな間違いが茶道の中で言い伝えられてきたのです。

金はどのような毒にも物質にも反応をしません。ただ、王水に溶けるだけです。韓国ドラマではありませんが、銀の匙、銀の箸を使うのは、砒素のような毒に反応するために用いられます。西洋でよく銀の皿や食器が用いられるのも毒に反応するからです。しかし金は反応しません。金が貼られる理由は、客に大切なお茶を飲んでいただくために、何にも犯されない清潔な金が用いられたのではないでしょうか。3000年前のツタンカーメンのマスクも腐ることなく燦然と輝いております。

 これからの人は毒に反応するために金箔を貼ったとは言わないでください。





 3. 点前稽古によくある間違い


  お点前のお稽古でよくある間違いは、意外と気づかれないでお稽古がされている場合がある。某家元講習会でも全国組織のT会における講習でさえも同じように間違いを犯していることがある。

お点前のお稽古や巷で行われている茶会は、本来あるべき茶道の「茶事」の一連の中の一部分を取り出したいわゆる修練の割り稽古であったり、多くの人に茶道の中の一部の点前で、茶道の醍醐味を味わっていただくために開かれた茶会である。

しかしながら、本来の「茶事」の流れを無視した道具準備や点前は言語道断である。もしそれが許されるならば、事前に客にその理由と釈明をしておかないと茶道の規矩性を無視するばかりでなく、正しい伝承が損なわれることになる。
近年の創造性豊かな自由茶会であったも、規矩性を無視することは伝統茶道の崩壊である。あえて全てを無視した自由で創造性にとんだ茶会ならば、伝統茶道と言うより、ジャンルの違った新しい茶道であり、それなりに参加する客に新しい茶道として、誤解されないように茶会をすべきであろう。

もちろんそれを否定する立場は取ってはいない。
むしろ、そのような茶道の到来も期待したいものです。

棚を用いる点前では、初座では棚上には薄器(棚によっては中棚)と香合、羽箒(棚によっては掛け釘)を置いて、客を迎え、炭点前を終えて、中立している間に、後座の時に使う濃茶の入った茶入等を荘りつけておくのが、「茶事」一連の規矩でそうすべきところを、お稽古で炭点前をする時で棚を使う場合には、棚に茶入、香合、羽箒を荘り、炭点前をしてしまう間違いである。

決して炭点前の際には、薄器又は棗を荘っても、茶入を荘ることはない。しかしながら、そのことさえもお点前のことに気を取られてか、炭点前の前に、すでに濃茶の入った茶入を荘って道具配置、準備をし、「茶事」の規矩性を無視して炭点前がなされる場合がよくあるが、気をつけたいものである。



茶入を飾って炭点前している例(棗、香合、羽箒のみを飾るべき)

行之行の間違い道具配置


 4. 濃茶貴人台で茶杓を拝見に出す時の間違い


  濃茶貴人台で茶杓を拝見に出す時、誰も不思議に思わないでいる。礼儀正しく上下の関係を絶対的に保守することが茶道の修練の美徳であり、道であると言い聞かせ、点前までも間違いを正すことなく伝承してきたことは、封建制の悪い名残で、疑問に思うこともしようとしなかったことが、この過ちである。

 茶杓は斜めに置くことは、炉向切本勝手で茶入を水指の左に流して置いた時には茶杓は斜めに、「草之真行」も同様で、それ以外は炉台子の時には点前の人の居前とは茶杓は斜めになるが、道具を台子を基準に置くので問題はない。
このように理由がない限り茶杓を点前の人や拝見の際に人に対して斜めに置くことはない。ましてや、貴人に対して拝見に出すのに茶入の仕服の上で斜めに茶杓をのせることは失礼で、亭主の点前の怠慢であり、それは間違いである。しかし亭主は心の中で、「仕服の底が立ち上がっているから、斜めに茶杓がのるのは致し方ない。又、自分の指導者からもそのように習ってきたから、当然こうなんだ。」むしろ自信を持っている人が多く見受けられる。


その答えは奥秘台子12段の中の「草之真行」にある。"茶杓を拝見に出す時は、仕服を取ると、仕服を丁寧に整えて、茶杓がまっすぐのるように、しかも仕服の底が見えないように下側に折り、右手で茶杓を取って、正しく真っ直にのせて拝見出だすように"厳命して伝承している。しかしながら、奥秘12段の修練をしないばかりかその点前の存在すら忘れ去られようとしている。



本来の茶杓と仕服正しいのせ方 よく見かける茶杓と仕服誤ったのせ方 よく見かける茶杓と仕服誤ったのせ方

  今からは、貴人台で茶杓を出す時は心を込めて、貴人に失礼のないように仕服を整え、仕服の底が見えないようにして裏側に折込み、茶杓を仕服の上に真っ直ぐにのせ、拝見に出してもらいたいものです。



 5. 誤った伝承を訂正する勇気


  思い返すと昭和55年の頃であろうか。裏千家家元の「1日稽古(ついたちけいこ)」に通っている時、時の業躰の中でも重鎮と言われていた川島宗敏業躰に指導を受けた時、浜本宗俊(女性)業躰が同室し、私を指導しながら、いろいろ話をした。襖の外に控えているA業躰は聞き耳を立て、室内の話を聞きき、勉強を重ねる雰囲気があった時代であった。伝統的で封建制の強い茶道の世界では、なかなか面と向かって質問をする雰囲気はなかった。>質問をすれば、「その程度のことを知らないのか!勉強をしなさい!」の一喝で難しい時代でもあった。親しくない限りでは本音で教えてもらうことはできない世界であったようだ。それ故に、盗み見、盗み聞きが当然の世界であり、稽古中に用事を作って、室内に入り、稽古を見て学習する世界でもあった。時には業躰の世界には他の業躰との立身出世のために表面には見えないの戦いもあったようだ。

過ってNHKの裏千家茶道で故金沢業躰が初炭の指導をする時、放映時の炭の組み方が違っていたのは事前にわかっていても訂正することを教えなかったからと聞いている。

戦後茶道が興隆していった時代に、「真の炭」点前に炭を運ぶのに回り炭で用いる炭台を用いていた。全国でどこでもそれが当然のように用いられていた。

その理由は聞き伝えで定かではないが、戦後の道具不足の中で、淡々斎が炭台を用いて指導したことに始まったと聞いた。それが時代が落ち着いてもそのまま炭台が使われ、家元の稽古さえも使われた。古参の業躰の一部は自分の指導する時は炭台を用いなく、本来の神折敷を用いていた。誰も家元にそれを告げようともしなかった。淡々斎がなくなって、昭和55年頃だと思いますが、とうとう、浜本宗俊業躰が当時の家元鵬雲斎に手紙でそのことを進言したと聞いている。

鵬雲斎は「1日稽古の日」の炭点前のときに炭台を神折敷に替える様に指示したと聞いている。このような伝統的な世界で、恒常的に行われている間違いを正した故浜本宗俊は言うまでもなく、家元である鵬雲斎は見事な采配をされた。茶道の正しい伝承が守られた事例である。指導者の中には一度間違って指導した時、面子(メンツ)を重んじて強引に進めたり、理由や理屈でごまかす人がいるが恥ずかしいことである。

 真の指導者は間違がって指導した時は、「間違がって指導したが、このように修正します」正しい指導へ修正する勇気が欲しい。そういう人こそ真の茶道人であり、指導者としての資格がある。



 6. 「つもり(実際とは違うがそのつもり)稽古」はしてはいけない


   よく道具がないからといって間に合わせの道具を本来の道具に見立ててお稽古をする指導者がいるが、絶対にしてはいけない。お稽古の道具は本物でなくても、安物で結構、それに準じた道具を用いてしなければ、伝承の間違いが生じる。 家元の「一日稽古」の際、水屋係りの業躰の見習いや未だ業躰になって経験も浅い人が、水屋にお点前道具を準備して並べて置く。奥伝の台子点前では水次は木地片口水次が約束であるが、偶々陶器の片口水次を用意してあったことがよくあった。

 水次の際、陶器の片口水次を持ち出し、済ましてしまう。指導の業躰も何もいわないで終ってしまう場合がよくあった。地方へ帰って、「家元では片口水次」だからといって指導をしている人も多い。名古屋でもそのように指導していた指導者がいた。「行の行」の点前は陶器片口水次を使うといって主張していた指導者もいた。ちなみに台子平手前では皆具(陶器)を用い、水次は陶器片口水次です。

点前に準じた道具を使うことは、正しい伝承をするのに指導者としては不可欠な指導である。



 7. 日本文化の伝承の義務を背負う人々はこうあってほしい


  日本文化の伝統を担う家元制度は、それなりに意味があり、それを担わなければならない責務と苦労は計り知れないものがあるだろう。しかしながら、その本来の意味は伝統文化を家元制度によらなければ、その文化は消滅してしまう懸念がある。

それ故に、日本文化の伝承の重責をその家元に、無言で国民が、国家が依頼している現状である。国家が日本文化の伝承に本当に思うなら、家元制度から脱却して優秀な人物を募り、それに専念させ、それなりの財を投下しなければならない。現実的にはあまりにも障害が多い。又日本人の伝統の家元制度には血統を重視する一面がある。しかしながら、江戸時代を見ても、本当の血統は養子と言う制度の中で意味がなくなってしまうことに気がつかない。現実的には今の家元制度の中で、伝統文化を守って欲しいものである。

しかしながら、いまだに口伝、秘伝といって公開しないでいるために伝承すべき正しい文化を消滅させてしまう懸念がある。又本来の伝承すべき奥秘12段を作り変えて、さも本来の奥秘10段、12段のように指導する人物まで現れてくる。私の知る限りでは、茶道に非常に熱心ではあるが、指導を無料といって静岡と茨城に教室を持つ茶室大工している人物の十段指導(台子50段飾りより推察して十段を指導)、過って裏千家業躰であった某人物が東京で奥秘十段指導等をしているということを耳にしますが、なんらかによって十段の書物を手に入れ、あたかも十段習得者のように指導しているこのような人物もいる。その人たちに言い伝えたい!「責任ある十段の指導を!正しい茶道伝承の倫理観を持ってして欲しいものです」正しい茶道の伝承のためにはいつでもお会いする覚悟でいます。

 ある茶道の全国大会で、質問があった。「十段はなぜ研修の場がないのですか」家元の答えは「奥秘は、道具が大名物、名物を用いるのでそれをするには道具がないからできない」との回答であった。それに対して誰も反論は言わなかったそうだ。奇妙なことに、家元で道具は本物でなく、見立てで、大名物、名物は用いないで、真之行、行之行、大円之真、大円之草を実際にしている。矛盾を感じるのである。現在では、即座に十段をこなすことができる人がなくなってしまい、奥秘十段の公開指導が難しいのではないであろうか。十段習得者がいれば、お会いしたいものである。

十段の公開を禁止する大義はどこにも見つからない。むしろ、各流儀で十段の伝承を維持するためにも正しい奥12段を公開して、開放しなければ日本文化の伝承を放棄したことになる。もし、日本文化の伝承の重要性に目覚め、実施の覚悟があれば、そのためには私は残された少ない人生の中で茶道文化のために労を惜しまない。



 8. 炭について


 茶道を志す人は、機転が利いて、先が読めて、こまめに動くことができて、面倒くさがらず、気が長くて、手を抜かない仕事ができなければ失格である。 お点前の炭を切る時は、まさに先に述べたことが、いつも炭を切る経験者なら実感するであろう。
 炭を切る時、たくさんの炭の中から、どの炭が胴炭に、掬打に、割掬打に、管炭に、 割管炭に、点炭に適しているか一目で無駄のないように選ばなければならない。

 切る時は、慌てて鋸を引けば、切り口が欠ける、鋸が左右に少し触れても炭の縁が欠ける。 特にクヌギの炭は皮と切り小口の調和した美しい切り口は茶炭の芸術的美がある。
 早く鋸を引いた時は欠け口が光り、台無しにする。炭を切る時は慌ててはいけない。 細い炭でも大げさではないが、一年かけて切るような気持ちでゆっくりと切らなければならない。切る時の姿勢も大切だ。姿勢ができていないと切り口が楕円になる。 切り口が真円に切るには本当に難しい。

 特に割管炭を切る時は、最も気を長くして、あせらずに切らなければならない。そのような愛情を込めて切った炭を炭点前で、 無表情に、雑に扱われては、切った人の気持ちを踏みにじってしまう。いつも炭を切る時心が妙に落ち着くのである。炭をいつも切っていると、 人の切った炭の切り口を見ると恐ろしいことに切った人のその時の心情が読み取れる。どんなに切り口がきれいでも冷たい切り口であってはならない。 切り口には心のこもった美が溢れていなければならない。炭を心を込めて本当によく切る人は必ずこの境地を感じるであろう。

 点前の炭は一木の表現がある。根元から枝先(香合台、胴炭そして点炭、枝炭まで)までの姿が込められている。 しかしながら、この程度は多くの茶人は知っていて、よく弟子たちに話して伝承しているが、「下火」のことは忘れられている。

 T 会で講習で行う時、ほとんど「下火」三本は同じ太さで行っている。 「下火」自身も大、中、小と一木を表現するために区別をしなければならない。ほとんどが点前に気を取られて下火まで気がつかないのか知らないで点前をしている。 ちなみに下座側、勝手側に大、上座(風炉では客付側)に小、動かす下火は中、として下火を入れなければならない。そのようにしておられる方がいますでしょうか。 是非、心がけてください。

 炭を切った後、炭にこびりついた粉塵を洗い落とさなければならない。特に適当な湿度をもった炭は火力も炭のもちがいいだけでなく、 炭自身が出す火のエネルギーという生命感をも感じる。乾燥しきった炭ではすぐに火が絶ってしまい生命感を感じることがあまりない。経験から言うと炉の場合の炭は、使う2〜3日前に洗い、 乾燥させて使うときが程よい生命力のある炭となる。風炉の場合は炭自体が細いし炉のように湿度があまりない方がよいので4〜5日ほど前に洗うとよいが、天候の加減で経験から調節をしなければならない。

 但し、下火は火付きを良くするために洗わなくてもよいが、茶事などで、炭点前をするまでに時間がかかるような場合はそれに応じて炭に湿度を与え、釜を上げたときの美しき下火を意識するならば、 事前に炭を洗って清浄にしておく気遣いが必要である。炭といえども、されど炭、心遣いが茶事の成否をも左右することになる。そういう茶人を目指して欲しいものです。



 9. 灰の話   現代よく記述してある「湿し灰」の作り方は誤った伝承と言える


 茶道を始めてまもなく、昭和45年の頃、疑問に思うことがいつも頭から離れませんでした。 それは「灰」について、特に「湿し灰」でした。灰の大家といわれる山藤宗山の著書、表千家、裏千家の教本をはじめいろいろ読みあさりましたが、 今ひとつ納得がいきませんでした。いづれの本も灰の色を気にして、色付けのために、灰に番茶をかけたり、スパイスとして用いられている丁子の煮出し汁をかけたりして灰の色を出すことに専念して、 本来の茶道の姿と「灰」自身の本来の色を無視してしまっているのではないだろうかと思うようになり、また、千利休当時に灰を作るのに、番茶をかけたり、 丁子の煮汁をかけただろうか、いや、そんなことをすることはありえないと思う中、益々疑問が増長し、「灰」についてとうとう本格的に研究を始めました。

まず、「何故、その作り方に進んでいったか」と「現在の灰の作り方が茶道にとって問題である」点、「灰とは」を「まず、「湿し灰」についてわかりやすく述べよう。

 「湿し灰」の色の美しさは、水を含んだ時、奥ゆかしく、重厚であって侘びの深さを持つ筆舌には尽くせない「黒色」の色である。その色を出すために水を含ませると、 灰はかたまりやす、粘着度ができて、まき灰のときに固まりになって、ドスーンと落ちてしまう。それを防ぐには、水を減らして粘着度を減らすしかないが、 残念なことに美しい「黒色」色あせてしまう。そのために、その色を出すために、長い歴史の中で茶人はいろいろ知恵を使って、番茶をかけたり、丁子の煮汁をかけてたりして、 灰の色を作り上げた。もちろん、水を含まない灰は落ちやすくなるので、湿し灰は完成したと思い込み、それを伝承していくのだが、残念なことに肝心な茶道の下火の美しさを放棄してしまった。

下火の美しさは、湿し灰に水を含んでいてこそ味わうことができるのである。茶事で、亭主の喜びの一つには、昔から言い伝えられているように下火を入れた時にこそある。 それが亭主ならではの独占した最高の喜びでもある。多分、現在の作り方で灰を作っている人は本当の下火を入れたときの「動く美しさ」と喜び味わったことがないといっても過言ではない。 「動く美しさ」も味わいたい方は機会があればお見せしたい。

 ほとんどの方が、下火が程よく赤くなり、うっすらと薄雪を被ったように下火に幕を張る頃、初炭が始まり、 それを見て、美しいと感動される方がいますが、その美しさは下火の美しさで、下火と灰のかもしだすシンホニーとも言える「動く美」を感じられたことがあるだろうか。

灰の色に専念するあまり、不潔な灰を使い、見えないカビを発生させ、茶の本来の「亭主の喜び」と {下火と灰の動く美」を放棄してしまったのが現在の灰作りといっても過言ではない。

 番茶の煮汁をかけることによって、折角できた無菌の状態で無機物に近い焼却によってできた灰に、有機物で雑菌を繁殖させ、腐敗し、悪臭のの発生を誘発し、 尚、カビの発生をも助長する。経験された方はご存知であるが、よく縁の下などに保管して、「湿し灰」として使う方は使う時に、灰の中に細かい白いものを見かけることがあるが、 それはカビであります。又、たとえ白いものが見えなくても、顕微鏡で見たときは、誰でも、カビの発生に驚き、気持ち悪くて使う気がしなくなります。多分、ほとんど全ての灰がそうだと断言しても過言ではありません。 よく真夏に炎天下で灰を干し、番茶をかける意味は、炎天下で雑菌を死滅するための昔からの知恵です。

 しかしながら、日本の湿潤気候では所詮、雑菌を殺しても、カビの発生は時間たてば避けられません。それ故に、番茶をかけて色付けをしていても、目に見えないカビを発生させ、わざわざ「不潔な灰」を作って、 色がよくなったと言って満足している茶人が多いのです。

灰を作る時は、番茶をかけてわざわざ不潔な灰にしないでください。客を迎える清浄な茶室には用いないでください。

   丁子の煮汁をかけた作り方は、確かに灰は黒くなるが、着色による色であって、本来の灰の持つ色ではない。昨今の着色食品とある意味では変わらない。本来の食物の持つ色彩、 灰にも同じことが言える。そればかりでなく、丁子は芳香を放つため茶の重要な清楚な部屋に、香水をつけた夫人を招きいれるようなものである。炭点前の香も時には無にしてしまう。 色が黒く染まるからと言って、煮出しをかけるのは、茶室の中で五感で味わう雰囲気をも破壊してしまう。

本来の茶道を心がける人は、着色剤、芳香剤は避け、 灰には清潔な新しい水だけで湿し灰を作るべきで、それが茶人としてなす道である。いつの間にか求める結果結論を追うあまり、邪道に入り、本来の物を失っていることに気がつかなければならない。

 それならば「水」だけで灰を作った場合は理想どうりの「灰」はできるのか。その答えは「できる」のである。 しかも、その灰を作るのに、真夏の炎天下で灰を干す必要もなく、 使う前日に清潔な水を用いて、当日でも灰を使う1時間前でも湿し灰を作ることができるのである。しかも、その灰はさらさらと灰匙から落ち、亭主の喜びである「動く灰の美」を満喫することができるのである。 灰器に盛った湿し灰はその灰を生かした芸術的美しさ感じることができる。

この製法を故裏千家業躰伊藤宗英先生から教えて欲しいとの以来を受けて、京都まで行って、教えましたが、聞くだけで実行されないだろうと思っていましたら、本当に実行され、感謝されました。 故伊藤宗英先生の実践の意欲は私にとって目に見えない教えであった。これがきっかけで、故木村宗博先生にを紹介され、灰の製法を伝えた時、本を出版したらいいと言われました。

 しかしながら当時故山藤宗山先生の「風炉灰の話」が出版されており、時を置いて本を出せと言われましたが、未熟な私にとってはそのようなことは論外でした。

 水だけで理想の湿し灰はできる。千利休も水だけで湿し灰を作っていたに違いない。又その製法は、むつかしいものではない。 興味のある方は連絡をくださり、機会されできればよいが、講演の機会に話すことができるかもしれない。



 10. 竹台子の間違った解釈


  熱心なA会員の方より、”この「竹台子の間違った解釈」を詳しく説明をしてほしい、 又、図表示が文章と整合しないのは、・・・”との質問を平成24年2月16日に受けましたので、改めて、その整合しない点と言われる図の補足と説明をA会員ページで表示したいと思います。 以前のホームページ記述をより明解にするため、文章の訂正と、図の補足をいたします。


 竹台子はよく奥伝「行之行台子」で使用され、 竹台子の組み方も昭和30年ぐらいまでは組み方について正しく指導されていたのであるが、その後、指導的権威のある人が間違って指導したためか一部に組み方の伝承に間違っている点が現れた。 それは竹の節である。本来は、竹台子を組むときは、客柱、勝手柱、向柱、角柱の記述が現在では信頼のできる伝書として各種寸法録を校合した「茶の湯道具寸法図会」にも明記されていた。

その後、昭和の終わりごろまで、竹台子の竹節の寸法をを無視する風潮が出てきた。「竹の節は自然で、目的どおりの節寸法はないから、気にしなくてもよい」と言って、竹台子を組むときは節の数だけの約束は守って組み付けるようなった。 その程度の解釈は理解ができ、納得も行くが、平成になって、「竹台子を組むときは節の数は気にしなくてもよい」といった荒っぽい指導が見られるようになった。

規矩性を重んじる茶道に置いて新しい指導者は規矩を守るどころか自由気ままで都合のよいように解釈するようになった。T会でも組み方にも違った竹台子で点前がされるようになった。 本当に残念なことです。

伝承されてきた規矩性を意味もなく放棄して違った伝承を作り上げて行く現代の伝承する者は、未来に対して責任を持たなければならない。未だ遅くない、 正しい伝承を蘇らして欲しいものだ。ああ!嘆かわしいことだ!皆さんは、竹台子を正しく組んで欲しいものだ。



知らなければならない竹台子寸法と柱名とその位置
図は参考文献「茶の湯寸法図会」より転記



 上記の図を見て、A会員の質問が生まれたようである。
それ故に、A会員ページで、図の分析をして、誤解を招かないように新しく、図の寸法を試算し、表現して理解していただこう。

 11. 四畳半花月で敷き合わせの角(踏込みと通い畳の角)を通る時の違い


 四畳半花月で一番気にして、注意するのが、最後の茶碗を取り込んで、「総礼」「座替わり」の時である。これはほとんどの人が注意をしていて、間違いがあまり見かけませんが、よく見かける間違いは、通い畳と踏込み畳の角の部分である。炉の時にその角を避けて通るのであるが、炉の場合によく四畳半花月をすることが多いためが原因なのか、ほとんどが、風炉の場合でもその角を避けて通る人がいます。

 本来の意味を知らないで、四畳半はその角を避けて通るものであると決め付けてしまって間違いを生じている人達が多く見られるようです。

その角を避ける意味は、炉の場合は炉があり、道具を出す位置が、その角に近いためにその位置を避けるのであって、風炉の場合は道具を出す位置がその角から離れているので、その角を通るのであります。これと同じ意味は、茶壷荘等のようにその角のそばに道具を置いて仕事がある点前は、その角を避けて通ることと同じ意味なのです。炉と風炉では通る時意識を持って気をつけたいものです。






 12. 鱗(うろこ)灰の真実


  奥秘の台子点前で眉風炉、棗風炉、紹鴎風炉などの真の土風炉で、「真の真」、「真之行」、「真之行草」、「真之草」の際に鱗灰をします。 口伝や書物で伝承されてきているが、真実の鱗灰が誤解されて巷に広まっているのは実際に鱗灰を経験していないからである。書物の図の表現があたかも鱗のように描かれるので、一枚一枚の鱗を並べるものと誤解してしまっているからである。
図ではこのように表現するしか致し方ないが、現実は全く図のように表現されるのでなく、あたかも生きている魚の鱗そのものを表現でき、図には表現できないからである。

 しかしながら、図の表現をあえてすれば、図1 のごとくである。
右の図2はある書物に描かれたものであるが、この並べ方は魚の頭が手前向きとなり、出来上がった鱗灰が死んだ魚のごとくになり、鱗灰の美的表現ができない。何かの手違いで鱗図を書くのに書いてしまったのであろうと思われるが、ほとんどの人が、その本を信用するあまり、死んだ鱗灰を作り上げているのである。ほとんどの人は、図を見てこれが鱗灰と思い込み、弟子にそれをあたかも鱗灰を知っている如く伝承する。弟子は又その鱗灰を伝承していく。このように伝えられている中で、本来の鱗灰は全く違った灰形となってしまっている。


 以前あるT 会の奥伝の炭点前で、準備した当人は周りの人に鱗灰の苦心をとうとうと話していた。そういう話は「・・・昨日から鱗灰を作るのに大変苦心をしたのよ。一匙一匙掬って、並べ、運んでくる時も灰がづれないかと心配して、灰が乾かないように濡れた新聞紙を風炉に掛けて今日をむかえてのよ!・・・」のようなもので、聞いたことがあるような内容と感じられるでしょう。

多くの人が、鱗灰を図を見て作るので、湿った灰を平らにして灰匙で掬い、その先に乗っている鱗形を一つの鱗片として一つ一つ並べているようである。出来上がったその鱗灰と称するのは、全く本来の鱗灰とは違って、まるで中国・韓国の時代劇で見る鎧にぶら下がっている模様である。
 それを鱗灰として思い込み、中にはそれを見て、「・・・よく鱗灰を作られましたね!きれいですね!・・・」と言うT会役員もみられる場合があるが、茶番劇である。鱗灰は、決して前日に作るものではない。灰の湿りも少ないほど生きた鱗灰になるが、湿り気が少ないと形が崩れやすく、その度合いは修練でつかむことができる。ましてや前日につくる鱗灰は形が崩れ、鱗灰ではなくなってしまう。それは鱗灰がどんな灰かを知れば納得が行く方も多いであろう。

 鱗灰は、湿った灰を一匙掬った時、無数の鱗が表現される。その掬った瞬間は、魚釣りをしたことがある人なら経験があるでしょうが、例えば、黒鯛を釣って、魚を手繰り寄せた時、魚は苦しさで鱗を逆立て鱗もきらきら光る光景を思い浮かべてください。全く一匙掬った時、魚釣りと同じように灰が逆立って、美しい無数の鱗が形作られます。それが鱗灰なのです。

その鱗灰を並べてゆくと鱗灰の集合美が又生まれてきます。並べる時は、図1のように手前から並べ、手前から見れば、逆立った鱗の美を体感することができるでしょう。

 残念なことにその本に表現された鱗を図2のように並べる方たちには鱗灰の美を味わうことができないばかりか鱗灰を誤解していることになるでしょう。正しく鱗灰の作り方を知れば、鱗灰は慣れれば30分〜1時間でも作ることができるので、当日1〜2時間ほど前に作れば、本当の生きた鱗灰を体感できるでしょう。しかしながら、納得の行く極限の鱗灰は、湿り気の度合いと言い、並べ方の技術と言い、筆舌に尽くしがたき部分もあります。




 13.  炉檀の据え方と畳と炉縁についての正しいあり方


 よく茶室の炉檀を見ると、炉檀をブロックか台を作って、その上に炉檀を置いているのを見かける。名古屋でも有名な銀行が当時持ち主であったころ、暮雨巷(ぼうこう)という茶室を利用したことがあった。驚いたことに、炉縁がたたみより浮き上がっていた。調べてみると、炉檀がブロックの上に載って高さが合わなかったのである。現在は直されているかもしれないが、炉檀を据える時は、畳の下の床を張ってあるタルキから釣らなければならない。そうしなければ炉檀は畳と一体化しない。

またよく炉を切ってある茶室を見ると、炉縁上と畳上表面と同じ高さの茶室がよくみられる。

 ある茶道専門の書物も炉縁と畳は同一高さであると明記しいるのを見かけたが、明らかな間違いである。それは施工業者や設計者が茶道を知らずして建築学上の通常の常識から炉縁と畳は同一高さであると勝手に解釈して施工した炉である。

 ご存知のように、小間で木地の炉縁、四畳半以上の茶室では塗炉縁を使うことが多い。炭点前をするときは灰器を炉縁に灰器の縁がかかるように置いて灰を撒く。

 その時の際、灰器が炉縁に当たって傷がつかないように炉縁は畳表面より1分(3ミリほど)下げるのが正式な炉縁の設定である。一度自宅の炉檀と炉縁を確認されるのもいいでしょう。



 14.  釣り釜、透木釜の頃の灰床の解釈の誤り


 よく釣り釜(裏千家は3月)、透木釜(表千家は3月)の頃、なぜそのような釣り釜や透木釜にするのかという説明を茶道の師匠は弟子に「・・・炉が始まった昨年の11月から炭を燃やし、灰ができ、段々灰も多くなってきたので、五徳では炭をつぐには、灰床が高くなり、つぎにくくなるので、五徳をとって釣り釜(透木釜)にしたのですよ・・・。見てごらんなさい灰が多くて灰床が高くなっているでしょう・・」などのように理屈をつけて説明をしているのを見かけることがある。
 ほんとに恥ずかしい話である。

もしそうなら、この師匠は炉中の掃除をしたことがない人である。炉中は炉を使った後、灰を掬い、灰を網で通して、再び炉中に灰を入れるのですが、灰床が高くならないように常に炉中を管理して、炉開きの当時と同じ炉中を保たなければならない。灰床が高くなっていった炉中は手入れのしてない炉中を意味します。

それではなぜ釣り釜、にするかというと、そもそも釣り釜は茶の始まるころの原点では「釜はつりもの」と言って釜をつっていたのである。その風情と茶の季節による変化を味わうために風流にとりいれたのである。4月になると炉では部屋も暑くなり、火力を抑え、見た目に炭火を隠すために透木釜を用いる茶道の知恵でもある(表千家は3月にとりいれているが、4月の釣り釜は暑さを感じることが多い)。

釣り釜、透木釜は灰床が高くなったためにしたのではなくて、風情と季節の変わってゆく中の合理性から生まれたものである。



 15. 台子平点前炉の場合の柄杓を杓立からとって通るコースの間違い


 現在、多くの人は、杓立てから柄杓を右手で取って、杓立て右横に抜き、その後、台子地板前中央の茶入(棗)茶筌の右側を通って、左手に柄杓を持ち替えて、炉の居前に廻る仕草をしているが、中には柄杓を取って、台子地板前中央の茶入(棗)と茶筌の間を通って左手に持ち替え、炉の居前に廻る仕草をしているが、誰も不思議に気が付いていない。指導者もそうしなさいと指導している。
多分、この記述を読んでいる本人もそうしていて、何を言わんとしているのだろうと思う人がおられると思う。




 茶道は点前の複雑の中に合理性が点前の中に存在する。このことを胸中に置いて以下の記述を読んでいただきたい。

 台子奥秘十二段すべてと風炉台子平点前を頭に描いて考察していただきたい。
すべての点前で柄杓を抜くときは杓立てが左にあるとき柄杓を杓立の右側に抜いて、まっすぐ持ってくる。炉の場合は左手に持ち替える。杓立てが中央にあるときは、杓立てから柄杓を杓立の右側に抜いて、まっすぐ持ってくる。

すなわち、すべての点前は杓立から柄杓を抜いて最短距離を通って来るのが、約束であり、点前の合理性が生きているのである。多くの人のしている台子平点前の炉の柄杓の通るコースは、左の杓立てから、台子地板前中央の茶入(棗)と茶筌の右を通るコースを通る理不尽で、ましてやそのあと左手に持ち替えるというのは、柄杓が大きな「つ」の字コースを通ることになり、意味のない動きができてしまう。なぜ、このようなことが起きてしまったのか。それは明解なことである。

台子中央の柄杓を「行之行」の場合、杓立右横に抜き、その後、台子地板前中央の茶入の右を通って、左手に持ち替えるため、その仕草がそのまま、台子平点前の炉の場合は杓立てが台子左側にあるのにもかかわらずに転用されてしまった結果である。このことは、権威ある指導者が、平点前炉のばあいに杓立から柄杓を取った時、「行之行台子」点前を基準にして教えたことが、現在の台子平点前炉の杓立から柄杓を取って通るコースを形式化してしまったことが原因であろう。

 今からでも遅くはない。本来の茶道の合理性からくるすべての柄杓の扱いとして意味のない歪曲されたものを是正したいものだ。ちなみに、わたくしは、奥秘十二段、すべての台子に通ずる柄杓の扱いを指導していますので、「つ」の字のような理不尽なコースを通りません。皆さんもよくお考えください。




 16.  穂長茶筌と五分長茶筌の区別と天目茶筌の話


 茶筌のについては、渋川市の内山一元氏が研究をされ、よくまとめられた本も存在し、ありがたいことであるが、内容の一部記述の中で、茶道研究者として、茶道の歴史的変遷の中で述べると、ある茶筌については茶筌の仕分け、解釈の相違が生まれてくる。それは、「長穂」のことである。文中で「ながほ(長穂)は普通、筒茶碗用として使われる茶筌で、五分長、筒茶碗用などと言われる三寸九分ほどの丈の茶筌だが、・・・」と述べられている。

 そもそも、歴史的にそのような茶筌が必然的に必要になった原因を考えてみると、瀬田掃部(かもん)が古い高麗物の焼き物で皿のような茶碗を手に入れたことに起因する。あまりにも大きいので、湯水を捨てたり、茶筌通しなど扱いにくかったが、見事な茶碗(南方録記述)であったので、千利休に銘をつけてもらうように頼んだ。利休は「水海」と名付けた。
 茶碗の直径も驚くほど大きく記述には、畳目15目(21〜22p)とあり、利休は特別に茶杓を削って、茶碗に添えてその銘を「瀬多」という話は有名である。

 お分かりのように、そのような大きな茶碗では普通の茶筌では無理であったであろう(この点は記述がないので推察では学問的ではないが、当然、普通の茶筌では茶筌通しはできないと考えれば、帰着する結果から言ってもその茶碗に可能な大きな茶筌を用いたと言える)。不可能な茶筌通しを可能にするのは、穂先を長くするか、軸を長くすることになるが、皿のような茶碗に対しては、穂先部分が長くなるのが、必然的である。

このことから見ても、穂長茶筌のルーツはここから始まったと言える。
又当時は、洗い茶巾とは言わず、「さらし茶巾」と言い、瀬田掃部が始めたものである。後に、円能斎になった時、「洗い茶巾」として成立していくのである。つまり。洗い茶巾の点前の時には、「穂長茶筌」を用いるのが、妥当である。

 又、五分長茶筌とは別のものと考え、五分長茶筌こそ筒茶碗に用いるものと解釈したほうが妥当である。筒茶碗は現在では冬の寒いときに用いるのが、常識化しているが、千利休の当時では、夏にも使用していた事実、南方録には「六月晦日、下鴨の川端での野点。・・・茶碗は三島の筒茶碗・・・」記述がされているように夏に筒茶碗が使用されていた。筒茶碗に用いるのは、軸が少し長い「五分長茶筌」を用いるのが妥当で、「穂長茶筌」と「五分長茶筌」とでは用途の違いから、別のものである。又、「軸長茶筌」は天目茶筌がその範疇にはいるとみることができる。







 「穂長茶筌」別名「長穂茶筌」は洗い茶巾に用いるもので、「五分長茶筌」は筒茶碗に用いる茶筌で別物で区別しなければならない。又天目は軸が長く穂先が短く天目茶碗には、「天目茶筌」を用いるのが本来であるが、皆さんは茶筌を使い分けておられるであろうか。現実には、濃茶、薄茶に用いる穂数すら混同して、同じ普通の茶筌を昨今では使い、それが当然のようにして用いられている。本来を知った上に致し方なく使う人は、是としても、まったく知らないで、茶筌を振っている人が多いことは嘆かわしいことである。



 17. 「茶通箱の茶巾のたたみ直し」の正しいたたみ方を今一度試みてほしいものだ!


 茶通箱点前で、茶巾をたたみ直す時、よく見かけるが、適当にたたみ直している人がいるばかりか、まったく茶巾のたたみ直しを勘違いしている人が多いことに驚いた。昭和60年の頃、故金沢宗也業躰がこのことを気にされてか、よく茶巾のたたみ方について述べたことがある。
 金沢業躰は「私が茶巾のたたみ方を気にしていても、指導者の業躰仲間の間でも正しくたたみ直さない人がいるようだ・・・」と言ったことが記憶に残る。

 正しくたたみ直す時には、裏表が反されなければならない。そのためには、奥伝の扱いと茶通箱の茶巾の扱いが違うので、茶巾を左掌にのせる時、茶巾を持つ右手の親指の方向がの左右が入れかわなければならない。茶通箱は、親指の先が客付に向かなければ、その茶巾の取り方では裏反したことにはならなくなる。 それが完全にされなければならないのに、適当にたたみ直している人を多く見受ける。
(補足:但し、奥伝のように絞り直しがないたたみ方を用いれば、茶巾を持つ右手親指が勝手側に向くので、右手が逆手とならずに茶巾の左右反転はなくとも裏返すことができるが、わざわざ、「奥伝はこのように、茶通箱はこのように」と茶巾の左右反転の扱いを区別して伝承したことは、絞り直しのある茶通箱の茶巾のたたみ方で奥伝と茶通箱のたたみ方の区別をしたのかもしれない。)

 それでは、「茶通箱はこのように、奥伝はこのように」と伝承されてきている「茶通箱はこのように茶巾をたたみ直す」と伝えられている事を記述してみよう。たたみ直す手順を示すには、筆舌につくしがたきことではあるが、可能な限り、文学的才能がない中で表現をしてみよう。
 たたんである茶巾を右手で取って、右親指の先を客付に向くようにして、右親指の背を左手のひらに平行につけて、茶巾を左手のひら上に平行(茶巾は横置)にのせる。茶巾の三分の一に折った部分を左へ広げ、次に三つ折りのひとかたまりをまた左に折り、下に現れたもう一つの三つ折り部分の真ん中の茶巾の端を左手の親指と人差し指で取り、前に左へ折った三つ折り部分の一番上の茶巾の端を、右親指を下に入れ、人差し指を上(親指は下にして)にして取り、右手でつかんだ茶巾の親指の下に左手で持った茶巾の角端を重ね、右手親指でもう一度押え(この時は右手人差し指と右手親指で茶巾の左右上下の角端を掴んだ状態で、茶巾を絞った後、茶巾を開くまで絶対に右手は持ち代えないことが重要)、右手上にして、左手親指手前側、他の四本の指は向こう側で、茶巾の中間部を挟むようにして右手親指を上にして右へ折り、右手中指、薬指、小指三本で茶巾の下側半分を受けるようにして茶巾を二つ折りで、左手を茶巾の二つに折った部分を持ち直して、建水上まで移し、左手で茶巾の折った部分を手前側に絞り(右手は客付側で動かさない)、絞った後、左手で絞り戻して茶巾を緩め、正面で、茶巾の右手で持った部分を、絞る前の時に持っていたように右左の手で、左右に観音開き(この時、必ず右手親指が茶巾の右上部角を持っていて、かかり縫い折部分が手目側に折れていることを確認する)で、茶巾を拡げる。
 右親指と人差し指で茶巾の端をもったまま、右手の中指、薬指、小指と右手掌端(小指の付け根部分)で茶巾の下端をはさみ伸ばし、次に、左手の親指と人差し指で持っていた茶巾の端を、左手の小指と左掌下端(左手小指付け根)ではさみ持ち直し、左手親指と人差し指で茶巾左側上の角を取って、そのまま茶巾を左右に拡げて構える(客付側は右手であるので茶巾を持つ手はあまり動かさない仕草となる)。いつものように向こう側へ三分の一折り、また、三分の一折り、右手上にして左側で、左手を茶巾中ほどまで上げ、体正面で二つ折り、右手で又二つ折り、右手で茶巾右側を三分の一折り、ゆっくりと左手親指を手前に抜き(この時フクダメ部分がふっくらと美しくなるように)、右手で茶巾を置く。

 細かく特に茶巾が裏返されるための茶巾の取り方に重点を置いて記述しましたので、茶巾の絞り直し部分が省略(絞り直しが当然と思い)して記述したことが絞り直しについて誤解を招くことにもなりましたで、ご熱心な方よりのもっと詳しくとのご要望に答えて、改めて詳細に補記し記述しておきました。わかりにくいくらい詳細に表現を書いたつもりですが、表現に文学的才能がないので、ご理解ができたでしょうか。実際にしてみてください。茶巾は、見事に裏返されたたみ直されるのです。これ以外のたたみ方は奥伝のようにすれば、たたみ直しができますが、少し茶巾の取り方が違います。

 しかしながら、茶通箱のたたみ直す仕草の伝承あるために、奥伝と茶通箱のたたみ方の区別をしたのかもしれません。たたみ直すことで裏返され、茶巾のかかり縫いの端が上部で手前側にきていれば、私個人の見解から言えば、それも是と考えます。改めて茶巾をたたむ時、茶巾の端のかかり縫い上部分の折り込み手前側になる事は、気を付けてほしいものです。是非、挑戦して正しいたたみ直しを身に着けてほしいものです。

 尚、折角、ご熱心な読者(伝言板でのchanotomoさん)さんありがとうございます。ご熱心な読者の方々のために、補記しておきますと、本来の意味はどうであったかと言えば、茶巾のたたみ直しは、たたみ直して裏表を改めるのが基本であって、絞るという仕草はなかったのです。

その原型は、奥伝を見れば、全てたたみ直しは茶巾を裏返すことを目的として、絞ることをしません。たたみ直す時に茶巾を絞り直すのは「洗い茶巾」のように水に浸かっていた茶巾をたたみ直す時にする仕草で茶巾が十分に水を吸っているために絞るという仕草が加わったものです。花月を見てもわかりますように茶碗を拭く程度では何度も茶巾を用いても本来は茶巾をたたみ直しません(時折、気を利かせて茶巾を絞る人もいますが、本来ではなく状況で致し方なくされているとみるべきです)。

 茶巾の絞り直しは別の理由があるのです。二種以上の茶を事前に点てた後に茶を点てる場合で、茶巾に前の茶の残留がある場合は、前の茶の残留を払しょくする意味の仕草です。茶通箱のように飲んだ茶碗が戻って茶碗を清める時は未だ茶巾は、茶が付いていないので、事前に絞り直すという仕草は必要がない(本来は絞るという仕草はなかったかもしれません)のですが、時代を経て伝承の中で本来の意味を熟慮しないで伝承した結果、現在では意味なく絞り直しているのが規矩となってしまっているのです。

 茶歌舞伎の場合は、試み茶に服点てた後、茶巾を絞り直して、たたみ直しますが、事前にききわけの基本となる二種の試し茶を飲み、茶巾に付いた試み茶の残留をなくすためにこの時のみ茶巾を絞り、たたみ直しすという仕草が行われる所以なのです。しかしながら、本茶の二碗目を清める時は、絞り直してたたみ直す仕草は、点前の煩雑性から省略しているのが現在ですが、バサラ大名が「闘茶」と称する「茶歌舞伎」で賭け事ををする場合は、賭けるものが高価な物や権利であったりしたので、厳密な意味から茶巾は茶のついていない茶巾で清めたかもしれません(この点は推論)。それ故に茶が違って茶巾前の異種の茶が付いている場合は、絞り直して、たたみ直すのが、本来なのです。

 「大円之草」の場合は、茶巾に茶が付いていないので、二碗目の場合は絞り直しもたたみ直しもしないことから、本来の茶巾の、「絞り直し」「たたみ直し」の意味が明確に理解することができると思います。しかしながら、本来の意味を考えないで無責任に伝承してきた結果、仕草も変革し、誰も知らずしてそれが規矩となってしまい、本来のあるべき姿が失われていくことは嘆かわしいことです。”今こそ、茶道真実を知らなければ”痛感します。また私も謙虚に万年学徒のつもりで精進していきたいと思いますので、ご意見、誤記に対してのお叱り、ご指導をいろいろ頂戴したいと思います。よろしくお願い申し上げます。



 18. 「二人貴人且座」の仕舞は、濃茶仕舞をしなければならない!!


  二人貴人且座については、緑色のビニール表紙の昭和61年7月12日初版の「花月風雅集」は故浜本宗俊(昭和61年3月逝去)編で記載されたが、その元本となる「風雅集」は昭和24年春に小単行本として出版されていた。しかしながら、それには二人貴人且座は未だ記載されていなかったが、浜本宗俊の死後出版されたもので「花月風雅集」に掲載された。浜本宗俊より15年ほど前に裏千家に入門した山藤宗山、木村宗博両業躰たちは「二人貴人且座」をすでに稽古場でしていた。

 「二人貴人且座」の出版された時、「浜本さんは二人貴人且座のお仕舞で、薄茶仕舞をして記述してしまっている。困ったことだ。貴人清次濃茶付花月が内容の核となっているので、濃茶仕舞をしなければならないのに、理不尽でつじつまの合わない理屈をつけて、薄茶仕舞で出版してしまった・・・後を引き継いでいる弟子のSさんが間違えたのではないだろうか・・・」という話を耳にした。
私なりに、浜本宗俊の「花月風雅集」の昭和61年7月の出版前に、山藤宗山、木村宗博両業躰の教えの中で、昭和60年7月に「二人貴人且座」をまとめ終え、記述書として完成し、配布をしていた。

その問題の個所は、「花月風雅集」の100ページ10行目からである。「・・・七事式中薄茶が茶事風・・・貴人清次濃茶付花月のように、貴人茶碗で本仕舞をして、次茶碗を仕舞うのでなく・・・茶巾の入替、茶筌の入替をするところが異なる。茶碗の総礼で終わった時はすべて、貴人茶碗で本仕舞である。・・・」 と記述され、意味矛盾の表現がされている。

原点である且座は、拝見を乞われると、柄杓、蓋置を建水に預け、道具拝見を出してから柄杓、蓋置を棚に荘る濃茶の手順を旨としている。それから考えても「二人貴人且座」の仕舞も「貴人清次濃茶付花月」と同じく貴人茶碗で本仕舞をすべきで、薄茶のように、茶巾、茶筌の入替はしないのが原則である。 しかしながら、「花月風雅集」のあいまいな記述から、この本を頼りに「二人貴人且座」を実践している人たちの多くには、濃茶仕舞であるのに、薄茶仕舞の形式をしている人たちが多く、その矛盾にも気が付いていない。

二人貴人且座は、学習内容も多く実践してほしいものです。「二人貴人且座」を実践する人は、仕舞い方には且座本来の濃茶仕舞をして、薄茶仕舞をしないでほしいものです。



 19. 菓子器の扱いの間違い


 ホームページで映像入りで解説している中に、縁高にのせてある黒文字の置き方にも問題が見られた。
 縁高に黒文字がのせてあるが、正客の黒文字が真一文字にのせてあった。

 しかしながら、正客の黒文字は手なり(自然に取りやすいため)に置くことが約束になっている。又、次客の黒文字は手前で、三客の黒文字より長めに縁高より出しておかなければならないのにまったく逆に置いている。

 黒文字に杉箸を添える場合も同じことです。よく赤杉の箸自体を赤く染めた箸と思いを間違えている人が見受けられる。赤杉は弁柄で染めた物が売られているが、本来は染めたものでなく、杉の木の中心部は赤色していて、その部分を箸として作ったものである。弁柄はインドのベンガル地方の染料でオランダ語から変じた言葉で、酸化鉄の顔料でそれを用いて染めたものは本来ではありません。

 又、映像の中で茶碗を清める茶巾も正客は帯のやや右にはさみこんであるのを取出し、拭いた後また帯にはさみこんでいる。次客は帯のやや左にはさみこんでいる。正しくは茶巾は懐に入れておくものである。ある質問で「茶巾を使った後左の袂に入れますか」という質問を受けたことがあるが、茶巾は使った後も同じ懐に入れる。又質問で、「汚れているから、左の袂に入れるのではないですか」を受けた。この人は茶事に招かれた時どのような状況でも対処できるように準備をすることを考えたことがないのかもしれない。

 もし、茶事で「茶通箱」であったら後の茶を飲んだ時、左の袂から出すのでしょうか。そうではありません。いつでも懐から茶巾は出し、懐に戻していれば何ら問題はありません。「茶通箱」のように突然点前が行われるような場合でも茶人は対応ができなければなりません。このことからも茶巾は、いつも二枚(夜咄も必要)は用意し、懐に入れておかなければなりません。

 話を菓子器に戻しましょう。縁高は、濃茶の正式菓子器です。茶事だけで使うのでなく、濃茶の際はいつも修練したいものです。一般には、陶器の菓子器、又、食籠(食べ物を入れる蓋付器で室町の頃から飾りとして用いられ、後に茶道で活用)が使われますが、ある意味では茶道では食籠は略式と言えるかもしれません。ある流儀では食籠がよく使われ、正式と思っている人が多々あります。茶道の濃茶の菓子器は、菓子自体が茶道初期では、自然の甘みのある食べ物、例えば、シイタケの煮しめたもの、いも類等が使われたのです。そのための専用菓子器が縁高なのです。
 よく、貴人清次の際に高坏に紙を敷いて生菓子をのせて出している研究会やお稽古場を見受けますが、本などに記載されているために間違いが生じてしまったのです。貴人の場合は、濃茶の菓子器は木地足付縁高を用いるのが正式です。塗の高坏は干菓子に用いる道具です。

しかしながら、昨今では、全く本来の道具の使用と扱いが無茶苦茶になってきております。亭主の自由と言えばそれだけのことですが、伝承すべき茶道の真実は、受け継ぐ人たちに正しく伝承していかなければなりません。もちろんそれを知っていて、感性で茶事のおもしろさ、風情を楽しむために異質な菓子器を用いることには異論は申しません。

 真実の茶道の伝統を継承していく責務があることを現代の茶道人は忘れないでほしいものです。濃茶の場合は縁高をよく用い、薄茶は干菓子盆を使う修練をし、貴人清次の場合は、濃茶は、木地足付の縁高を用い、なければ普通の縁高を用い、干菓子用の高坏を用いないようにしてほしいものです。補足として言えば、木地の道具すべては1回限りの使用が本来なのですが、とてもそれは現在ではできませんが知っていても知識として邪魔にはなりません。



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会員制度導入のお知らせ


 ホームページを立ち上げてから、沢山のメールの質問をいただきありがとうございました。
みなそれなりにお答えさせていただきましたが、メールの多さにお答えする限界に達してきましたことと、私の指導している弟子からもホームページの内容が境界なく発表され、労せずに知ることができるのは不公平との意見が多々生まれました。
その解決法といたしまして、「茶道の真実を知らなければ」の内容の意味合いや本論関する回答は、質問のお答えを含めて会員制度の方式を取り、会員の方のみに発表していく内容になります。近日中に発表いたします。なお、「茶道の真実をしらなければ」の間違いや問題は従来とおりいろいろ発表していきます。その答えは会員に限ることになります。よろしくお願いいたします。





 20. 茶カブキの看板は正しく使ってもらいたいものだ!!


 七事式の茶カブキをする際に、客に使う茶師の名前と茶名を看板に書いておきますが、近年では看板に書く茶師は、教本に書かれている茶師、「竹田」、「上林」が書かれているためにほとんどが、その茶師の名前を書いて「茶カブキ」をしている。驚いたことに茶道具屋では看板にすでに書かれたものが売られており、買いに来る茶道の先生もそのように書かれた看板をあえて求めて買っていることだ。

本来は、使う茶師を書くべきで、茶師が書かれていない看板を買うべきである。茶道を始めて間もない人は書かれた看板が正式であると錯覚している。茶カブキをする際は、用いる茶師の名を書いて茶カブキをしてほしいものだ。講習と称するT会でも当たり前のようにして教本に書かれている茶師の名でしていることがほとんどであり、その説明もないことは本来の茶カブキを伝承しているとは言えない。嘆かわしいことである。是非、茶カブキをする際は、その土地の茶師の名を記載してしてほしいものだ。看板に書くことが難しいと言って、手を抜いてはいけない。簡単書く方法もある(A会員に開示)。





 21.  本来の茶花を知ってもらいたいものだ!!


  席中に生ける茶花は、亭主の力量と席中の品格をもかもしだす。
よく茶会や講習会でその席の責任者が忙しいことを理由にして、道具屋さんに花を活けてもらっている亭主がいる。頼む亭主は茶人として論外であるが、道具屋も頼まれて時には自慢げに活けている。全くこっけいな風景である。
それを見ている人たちもまた何も思う人はいない。茶人として恥ずかしいことすらわかっていない。

 客を迎え入れる床の飾りは亭主の顔であり、亭主の姿勢をも表現する床である。茶花を活ける時、「野の花のように生ける」という意味を取り違えている人が多々いる。中には、サット一度に入れると自然でいいと思って活けている人がいる。そんな活け方なら、5歳の子供でも活けることができる。決してそのような活け方が茶花ではない。又、茶花の先生と称して教えてる人もいるが、大部分の人は茶花の名前をよく知っている人が茶花の先生と錯覚している。茶花の名前を知っていることは大切であるが、本来の茶花の原点を知らずして茶花の大家と自称している人もいる。

 茶花の原点は立花師であり、奈良茶道の村田珠光が小瓶子に立花を活けたことに始まり、池坊の「立花」に起因する。それ故に「立花」を活けてこそ「茶花」も理解できるのである。椿一輪の省略の花もそれに起因する。茶花の本が出ているが、全く本来の茶花の原点をを無視した作品が載せてある。時代の流れとして受け入れたとしても、それは「自由花」のジャンルである。茶花は「時」、「場所」、「環境」とによって難しさが違う。決して保守的な視野から述べるのではない。本来の茶花に立脚し、新しい茶花を取り入れることも是として考えたいが、忘れてはならないのは、「茶花」の真の姿である。
茶花の詳細な話はA会員のページで語ろう。




 22. 天目茶碗には独特な持ち方がある


  台天目の点前をはじめとして奥秘の点前には台天目が必ず用いられるが、T会の講習会でも全くその点の指導がされることは稀と言っても過言でない。

 天目茶碗の製造、形、材質から持ち方も普通の茶碗とは全く違う持ち方である。修練をすれば、茶碗の縁に指をかけなくて、さかさまにしても茶碗が落ちることはない。しかしながら、天目茶碗を大部分の人は普通の茶碗と同じように扱っているのが現状である。誠に天目茶碗から言えば、迷惑な仕草である。普通の茶碗と天目茶碗の違いを認識してもらいたいものだ!!
A会員のページで開示してみることにする




 23. 天目台の意味と持ち方とは・・・


  天目台の持ち方は貴人台とは異なっており、天目台ゆえに独特な、道具第一にした持ち方がある。天目台は、唐物であることを意味する。和物で作ったものは和物であり、天目台を模倣した天目台風和物と言える。但し、稽古で用いる天目台は見立てであって、それは論外であるが、天目台が約束の点前は、唐物でなければならない。

もし、ある家元が和物で天目台を作り、好みとしてもその和物天目台の使える点前は存在しない。同時に作った天目台のお点前をも考案し、発表しなければ、唐物約束の四ヶ伝「台天目」、奥秘台子12段および「大円の草」には作った和物天目台は使えない。
使えない天目台と持ち方の奥義についてはこの点はA会員ページで開示しよう。




 24. 「真之炭」点前のよくある間違い


 「真之炭」点前で、灰器と羽の扱いの件で述べてみよう。
灰器の持ち方が、T会でも昨今ではあまり指導されていない。灰器を持つ時の手順には「真之炭」特有の持ち方がある。灰器の取り置きと灰器を持った時の姿勢、灰匙と持つ手のの位置関係などが正しく所作されていないのが目につく。特に、灰器を取って、風炉(炉)の位置に移す時の取り置きの所作と手順は全く理にかなった扱いがされていない。

灰を撒く時の灰匙の持ち方、灰匙から灰を落とす所作と灰匙から灰を滑り落とす位置、灰を撒く場所など真の炭特有の所作が見受けられない。又、香を置く位置もとんでもないところに香を置いているのを多々見ることがある。

羽の扱いも取り置きの所作において、風炉と炉の場合の違いを混同している場面を見受けることがある。いづれも本来の意味を知らずして炭点前をしているからである。実際に実技で示せば理解できるのであるが、指導者の多くは、ただ点前の手順の順番を指導していて、本来を知らないからである。
筆舌につくし難きところもあるが、A会員のページで述べてみよう



 25. 天目台、盆の拝見の仕方が近年歪曲されている現実


 天目台と言うと有名な尼崎台を思い出す。その尼崎天目台が徳川茶会で、今の展示方法と違って、部屋で直に展示された事がある。その時、学芸員の方に許可を得て手に取って拝見したことがある。よく尼崎台のムカデのことが書かれた書物があるが、記憶では尼崎台の裏側にムカデんが描かれていたように思う。両手で持って、天目台拝見した時、持ち替えるのに片手で持つようなことは必然的にできない。そのまま手を交差して尼崎天目台の裏側を拝見した。道具を動かすと言うより自分が動くことによって道具に負担をかけない配慮の拝見のしかたであった。

理由は時代を経た尼崎台に対する思いばかりでなく、尼崎台が時代を経てもろくなっているかもしれないという思いからである。本当に時代を経た天目台を持つ時は、おのずからそのような持ち方になるのである。

盆の持ち方、拝見の仕方を厳しく指導していた故山藤宗山業躰を思いだす。戦後から昭和50年代までに指導を受けた茶道人ならば、誰もが思い出すであろう。厳しい修業の中でそれなりの意味ある扱いを伝承してきた先輩いの方々である。しかしながら、近年、その扱いが独自の考案から指導者が考えたのかわからないが、本来の扱いからはずれた指導がされている。

 私に送られてきた多くのメールの中にその疑問が寄せられていた。「今までの天目台拝見の扱いが急に変わってしまったが、おかしいと思いませんか・・・」などであった。

T会の各地の講習会で、最近人気のあるK講師の主張する扱いが問題のようであった。私も面識のある講師であるが、「茶道の真実を知らなければ」を伝えるためにもあえて各地の多くの疑問者に答えることにしよう。

 K講師の主張する扱いは、明らかに、天目台自体の意味合いと時代のかかった唐物天目台の材質、台子奥秘12段の点前を熟知してないところにその誤りが生じたと言える。

天目台、盆の扱いは両手で下側を持つようなことはしなくて、吊り下げるようにしてもつのが、正しい拝見時の扱いである。

詳しくはA会員のページで、その意味と下側で持つことが間違いであることを物理的にも、奥秘台子12段の例を用いて説明したいと思う。



 26. 畳と台子の曲尺割とそれを不用意に無視した例 2012/1/4


  茶道人の多くに、現在では「曲尺割」は「無視していい・・・」とか、「あまり気にしなくていい・・」と言って、「曲尺割」を考えないで日常お点前をしている茶道人と称する人たちがいる。茶道の自由性は是として受け入れられるが、茶道の成立した原点で「曲尺割」が考案され、少なくともその規矩性が茶道の伝統の中に受け継がれ伝承してきたことは事実であり、重要である。

 現在その「曲尺割」が難しいからと言って知らずして茶道を指導しているならば、無免許で交通ルールも守らないで運転しているようなものである。自分だけで茶道の伝統歴史、そのルールを無視してする茶道はまた別の茶道と称する茶道の体系の一つかもしれないが、伝承文化が理解できない茶道人でもある。曲尺割の解釈は難しいと言って、質問の多くにその解説を望まれるものが多い。

又、曲尺割を日常茶道をする上において席中の三要素である「位置の決定」など細かく指導する人が多いが、現実的に、「位置の決定」、「道具の配置」等をするのにその根拠となる曲尺割を理解していない指導者も多い。それ故に、質問の多くが、「曲尺割」なのであろう。少なくとも、「曲尺割」の詳細は分からなくても、概略は認識し、指導に耐えうるだけの「位置の決定」、「道具の配置」の根拠を理解してほしいものだ!!
「曲尺割」の入口から少しずつ、A会員のページで語ることにしよう。



 27. 台天目の点前の蓋置は青竹と言う約束はない。白竹でも良い。規矩と感性を混同しないでほしい


 「台天目」の点前の道具の取り合わせとして、約束になっているのは、唐物の天目台、天目茶碗、唐銅建水、木地曲水指、竹蓋置である。

 昔から家元のお稽古でもその道具組で稽古し、長い間T会でもその組み合わせで伝承されてきた。しかしながら、3〜4年前から奇妙な道具組がT会の講習会で有名な業躰である講師によって言われるようになった。それは、台天目に使用する竹蓋置が、青竹でなければならないと指導していることである。多くの人が疑問を持ち、私に尋ねかけてきた。

 千利休が正月元旦に客に煩わされることなくただ一人で茶を点て、自ら飲んだ「寿ぐ(ことほぐ)茶」の会では薬師堂天目を台に据えて取り合わせたと伝えられるが、もしかしたら、利休の感性から想像すればこの時は青竹の蓋置を使ったかもしれない。それ故に正月とか、口切のようなあらたまった始まりでは、よく天目茶碗で茶を点てることがあるが、この際は青竹を用いることがあっても亭主の感性の現れとして意味もあるが、それだからと言って「台天目」点前の蓋置が青竹と決めつけるのは、軽薄である。もし、「台天目」の点前が改革され、家元の方針で正式に規矩として青竹の蓋置を使うことがきめられたならば別の話であるが、もしそうだとしても、今まで伝承されてきた「台天目」点前の変革であり、時代の流行としてしか認識することができない。それは本来の伝承されてきたことに対する否定であり、意味のない流行である。惑わされないようにしたいものである。

長い間、いろいろな先人の業躰に指導を受けてきたが、「台天目」の蓋置が青竹であると言う約束は聞いたことがない。むしろ、「台天目」のような点前では、台天目が主役であるので、他の道具は目立たない道具を組み合わせてあると聞き、白竹の蓋置を使うことを聞き伝えられていた。しかしながら、伝承がいつの間にか指導の責任ある業躰の勝手な判断によって、「台天目」の道具約束が替えられてしまい、巷にはそれが「台天目」の蓋置の約束であるがごとく広まってしまうのである。

青竹が約束であると言うその指導者に聞きたい。そのことが書かれた伝承の記述はない。また記述があればどこに存在しているのか自信を持って示すことができるのでしょうか。少なくとも、家元の稽古でも「台天目」の蓋置は昔から青竹は使っていない。棚に飾る場合は、青竹を使用しない記述の古書もあることも知られていない。

 青竹を使うのは、亭主の感性で「すがすがしさ」、「あらたまった口切の時期」、「新年の時」などに用いる蓋置であって、それも感性であって、規矩ではない。ましてや「台天目」の蓋置に青竹の蓋置が約束であると述べる指導の業躰の勉強不足を反省して欲しいものだ。 又、「規矩」と「感性」の区別を明確に認識してほしいものだ。2012/1/23



 28. 丸卓(利休好み)使用の意外な誤り 2012/4/23


  丸卓は、の考案は、いろいろな伝えがある。利休が旅先で、川に流れてきた酒樽の側面をはずして、底と鏡を二本の柱で支えて考案したものとか、飾る棚の一つをお点前に利用したことに始まるとか、いろいろ諸説がある。

その丸卓も現在では使用する際に、約束があるが、あまりにもポピュラーな棚であるが故に、不用意に用いられていることが多い。
風炉に据える場合と炉に据える場合は、それぞれ異なっている。この点について詳しくA会員のページで述べてみよう。



 29. A会員からの質問、・・掛物の外題とは・・2012/9/5 開示


 A会員の方より、「・・・外題の、ありますお軸を、見たことがないのです。・・・ご宸翰だけにかぎられて、外題が、書かれているのでしょうか・・・お軸を、書かれた方が書かれます以外に、他の方が書かれますこともありましょうか。・・・」の質問を受けた。

外題と言えば、大部分の方が、「軸荘」、「軸荘付花月」を思い浮かべ、その扱いの中で、「外題」が掛物に書かれていることを意識する方も多い。

 又、教本にも「外題」と記述し、掛物を床に荘る際の外題の位置はわずかに記述されているが、掛物のどの位置に外題があり、その明白な写真も鮮明に表現されていない。

 又、「軸荘」の手順に重きを置くことに心を囚われているので、「外題」の意味までは理解されている方も少ない。
 そればかりか、「外題」と言う用語自体を理解していないために、間違えたまま、日常的に、「外題」と呼称し、本来の用語が正しくつかわれていない。特にお点前自体に影響がないが故に、お茶の世界では用語の使い方が正しく伝承されているとは言い難い。
 それ故に、「外題」について詳しくA会員ページで述べてみよう。



 30. A会員の質問:大円草の和物茶入の取り方と茶入の取り方の理由 2012/10/25開示


 多くの質問の中に、普通の点前、四ヶ伝、奥伝(特に大円之草)において、茶入を持つ手が右手か左手かについての質問が寄せられる。その理由は、伝承されている点前の中で、本来の茶入の扱いが無視され、独自の茶入の扱いへ変革していったところに、茶入の扱いの一貫性がくずれたことに原因がある。

その点前の例を挙げてみるならば、その代表的な点前が「台天目」の点前である。

 奥秘台子12段の割り稽古として台天目の扱いを修練する目的でありながら、公開されて四ヶ伝となり、四ヶ伝が伝承されていく中で、台天目と象牙茶杓の関係が本来の扱いの意味合いから離れて伝承されていった事(直接天目茶碗の口縁に象牙の茶杓がのるようなこと)や、右手には何も所作がないのに、和物茶入れを左手で持つことなどは本来の奥秘台子12段の規矩であることが無視されていったことにある。

 しかしながら、誤った伝承と言えども、現在のようにそのような扱いとして点前が定着してしまうと、時代の流行として、否定するとうよりも現代的点前として是認することになる。

そのような本来の規矩に相反する所作が是認され、点前の中で混在することが、茶道を修業する人々に困惑と迷いを作り出した原因とも言えるのである。
この茶入の持ち方に、茶道を学ぶ一部の方々に、和物茶入を持つ手が右手か左手かの迷を起こさせた点前が、「大円之草」なのである。

 現在でも、指導者によって、その根拠となる意味を話さないで和物茶入は右手で持つとする指導者と左手で持つと言う指導者が多々いる。「大円之草」の唐物茶入と和物茶入の扱いで、特に和物茶入の取り方を、茶入の置いてある位置の関係から、心情的にその扱いを主張する指導者がいる。

 茶入とその扱いは、位置の問題ではなくて、本来の「陰」、「陽」の関係で成立していることを忘れて扱っていることが原因となっている。
 特に茶入を右手あるいは左手で持つ場合の本来の規矩とその場合の話を詳細に、A会員ページで開示してみることにして、みなさんの疑問に答えたい。



 31. A会員の質問:「平成24年9月に雑誌に記載された花月の足は間違っていないでしょうか?」2012/11/5 開示


 七事式については、あまりにも色々な場合があり、お点前のように暗記したりしても必ず問題にぶつかる。七事式は、修練が必要である。それも自分以上の経験を持ち、前向きな修練をする意欲のある人としなければ、実力はつかない。特に、七事式の科目で、好き嫌いをいう人は実力はつかない。

 しかしながら、七事式をよくやると言う人でも、香付花月、唱和の式などは、俳句、短歌などを発想して書かなければならないので、避ける人がいるが、問題外のことである。奥ゆかしい日本の文化の情緒を味わうことのできる七事式は、好き嫌いで科目を選択してはいけない。

 七事式で修練するのに重要なのは、七事式毎で、用いる道具、展開してゆく内容の変化を把握しておかなければならない。中でも、畳を歩く時の七事式独特の足運びである。初めて七事式を始める人は、花月の式から始めるが、その足もいろいろ場合によって異なってくる。この点は指導者の中でもいろいろ見解が分かれることがあるが、それ自体が理解していないからである。 

七事式の修練は、月に1回する程度では、修練しているとは言えない。又、する時は1日に何度もしなければ、七事式をしているとは言えない。それほど修練を必要とするのが七事式で、それでも、自分の役が済んだと思ってホットすると、すかさず自分に番が回ってきてあわてたり、見とれていて自分の仕事を忘れるのが常と言える七事式なのである。

 A 会員から、「平成24年9月に雑誌に記載された花月の足は間違っていないでしょうか?」と言う質問があった。調べてみると、昔から厳しく家元でも、その指導者である業躰でも絶対そのように歩いてはいけないと指導してきた事実を否定する歩き方が掲載されていた。その歩き方は、四畳半から八畳へ下がる際の三客の足運びが、八畳の敷き合わせをまたいだまま歩くように指導されていたことであった。

もし従来の規矩として守られてきたことを否定して、新しくその方式を取り入れるならば、それはそれとして、時代の流行として取り入れられることもそれは是ではあるが、伝承されてきた事を否定することは、代々家元の家元が認可し伝承してきたことを否定することになり、代々の家元の功績をも否定することになりかねない。それ故に、伝承されてきたことは是認して、あたらしい方式は「時代の流行」として取り入れていくのが伝承のあり方であると言える。

現実には、今現在、一部のT 講習会では、従来から伝承されてきたことを否定し、その足運びをも禁止して指導する業躰もいると耳にする。その従来のあり方を否定して発案したのは、業躰の指導者の一部からの発案から生まれたと考えられるのではないであろうか。そのT 雑誌の花月には、家元の「監修」と言う重き添え書きまで付記している。

 家元の「監修」なのではあるが、本当に家元の裁可を受けて「監修」と添え書きしたのであろうかそのことは知りえない。もし、一部の指導者の独走から変革が行われ、家元の「監修」と言う重いタイトルを付記するような事が次から次へと行われ、変革していくならば、伝承の本来の姿は失われることに杞憂せざるを得ない。

 しかしながら、T 雑誌の家元「監修」となれば、事実として、今後の七事式にも大きな影響を与えてゆくことは確かであり、これも時代の「流行」として是認せざるを得ない。

 ただし、従来の足運びの仕方が一部で禁止されたり、否定されることは、伝承の経歴や代々の家元が認めてきた七事式の足運びをも否定することになり、問題であろう。

 そういう意味では、現代の業躰部の指導者には大きな責任が問われることも避けられないと言えよう。そのためには、従来の伝承されてきた花月の足運びを禁止したり、否定する一部の業躰の言動に対して対処しなければ、伝承の指導をゆだねられている業躰の責務と言う点から言っても、伝承と言う重さを再認識し、実感しなければならないであろうと思う人は少なくない。

 巷で習い続けてきたA 会員の質問のように、混乱と疑問の渦を作る原因となっている事をも知ってもらいたいものだ。
この点を、平成24年9月号のT 雑誌の足運び、それがきっかけとなったとみられる2009年のS 雑誌の花月の記述などを考慮に入れながら、従来の三客の足運びと比べて、その詳細についてA 会員に開示してみよう。



 32. 利休の主張したお点前中の道具の正面とは・・・2012/11/25 開示


 お点前の道具を設置する際、道具の正面を気にされ、慎重に道具を据える。しかしながら、利休以前では、道具の正面を客付に向けたこともあった。
 利休茶道の確立した時から、道具の正面は、棚から竹蓋置まですべての道具は、正面を点前本位に向けることを利休は主張したにもかかわらず、現在に至って、伝承の過程の中で、外れてきたものがあり、利休茶道の本意を知らずして、現在でもそれを主張し続けている一部の指導者がいるばかりか多くの門弟の中にもそれを正しいと思い、伝承を受け継ぐ者も多々見られる。

 利休茶道の原点と利休茶道の本意を勉強すれば、道具の正面が点前の亭主本意に置かなければならないことが分かるが、悲しいかな伝承の世界で、封建的な間違った恭順の解釈は依然として続き、「先輩の指導者が言うことは、すべて正しい、神の言葉」の如く間違っていても、従順であることが美徳であり、それが先輩に対する尊敬であると錯覚し、正しいかのように伝承する指導者が多いことも事実である。

 ある意味で言えば、千利休の目的とした茶道のあり方の原点として主張した事に対して、反することは、利休茶道の伝承者と言うよりは、他の茶道理念(もし、その理念があるならば)の指導者とも言えるのである。つまり利休茶道の伝承を続けている伝承者とは言えないとも言える。

 その現実の誤った伝承とも言える「中置の点前の竹の蓋置の例」で今なお続けている問題をA会員ページで開示してみよう。

 33. A会員からの質問・・・「五行棚の竹柱の組み方」 2012/12/5 開示


  A会員から、五行棚の竹柱の位置について質問があった。多くの方々は、教本通りに学習していて疑問も持っていない人が多い。

 しかしながら、本来の五行棚の竹柱の組み方は異なっている。この点を円能斎の著書(明治41年発行)された教本の「濱の真砂」、廣瀬拙斎の「寸法録」昭和8年初版で昭和22年印刷24年発行、淡々斎の「風興集」を通して検証し、正しい五行棚の竹柱の組み方の伝承をA会員のページで述べてみたいと思う。

浜本宗俊の教本に書いた文が玄々斎、円能斎、淡々斎の本意とした伝承を変革し、現在、尚且つ、 正しい伝承から外れ、学習する茶道の諸氏に与えた問題は大きなことである。

 しかしながら、間違っても本に記述され、それが正しいと思わされて時代の流行として伝承されれば「是」とはなるが、正しい本来の姿に復帰すべきであり、しなければ、玄々斎、円能斎、淡々斎も黄泉の世界で嘆き悲しむことでもあろう。五行棚の柱の組み方の伝承とは何かを開示してみよう。

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第11部(2022年)茶道奥秘台子12段の話
Part11 (2022 year) "story of 12 steps of tea ceremony hidden mysteries four-pillared shelves(DAISU).
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第12部(2023 年)茶道における誤った伝承
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